ロングインタビュー
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相模原芸術家協会(相芸協)会長の上條陽子さんは世界を駆け巡る画家だ。中東レバノンにあるパレスチナ難民キャンプへ足を運んで、子供たちに絵画を指導し、その作品を日本に紹介して平和と自由の大切さを訴える活動を10年あまりにわたって続け、中断した現在も難民、特に子供たちへの深い関心を持ち続けている。市美術
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相模原市中央区星が丘に生まれ育ったバレリーナの篠崎れい奈さん。9歳のときにバレエを習い始め、牧阿佐美、川口ゆり子、今村博明らに師事して数多くの舞台で活躍。現在は現役として活躍する一方、生家にバレエスタジオを開設して初心者からプロ志望の上級者まで幅広い人たちを指導している。小学校の卒業文集に「将来は
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町田・デザイン専門学校(町田市森野)の創設者で理事長を務める井上博行さん(75)は、幼き日に見た大工の夢を信じる力に変え、「1級・2級建築士」として実現。同市議を務めながら教育の改革に努める一方、技術やノウハウを後世に伝えようと専門学校の創設に乗り出す。ドイツのマイスター制度に魅せられ、日本のもの
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小星重治さん(72)は相模原市緑区相原に生まれ、県立相原高校に学んだあと小西六写真工業(現・コニカミノルタ)に入社。技術部に配属され、30代から40代にかけてつぎつぎに画期的な技術を開発し、紫綬褒章、科学技術庁長官賞をはじめとする数々の栄典や賞を受けた。現役引退後、「写真技術で社会に恩返ししたい」と
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ヘッドホン、マイクロホンの開発・製造で世界のトップランドを目指し、たゆみない前進を続けているオーディオテクニカ(町田市西成瀬)の本社新社屋が今年1月に竣工した。外観、内装とも透明感あふれる明るい建物の中には創業以来の同社の記憶と現在の鼓動、そして未来に向けたチャレンジのエネルギーが詰まっている。創
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食品包装用品・各種厨房機器などの包装用機械販売を主な業務にする三和紙業(相模原市中央区上溝)の藤本都子(みやこ)社長は、父が創業し母が受け継いだ会社の3代目社長。就任当時から持ち前のリーダーシップを発揮して思い切った経営改革を行い、その後も津久井湖畔のせんべい製造企業を買い取って食品事業に乗り出し
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横山房男さん(72)は富士山の裾野、静岡県十里木の生まれ。10歳までここで育ち、その後相模湖プレジャーフォレストの近くに移り、青春時代を過ごした。高校卒業後、サラリーマン生活を送ったが、わずか2年で退職、独立した。その後も有為転変の日々を過ごし、自動販売機関連の仕事や手作り弁当の製造・販売業などに
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開業から24年目を迎える竹村クリニック(相模原市南区)の竹村克二院長(66)は長野県の出身。中学・高校生の頃、自宅で長く病の床についていた祖母を手厚く往診し、最期を看取ってくれた医師への感謝の気持ちが、自分も医師を志す動機になった。東京医科歯科大に学び、卒業後は第一外科学教室に入局。心臓外科、消化
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橋本生まれで橋本駅北口のB‘sモールで歯科医院を経営する佐藤文彦さん(48)は、今年で開院64周年になる3代続く歯科医師。幼い頃から父の診療室と隣合わせの部屋で育ち、「歯医者の匂いは父の匂い」と回想するほど、歯科診療になじんでいた。大学卒業後、友達に誘われて2年ほど沖縄の診療所に勤めた後、橋本に里
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月森清一さん(65、東亜警備保障代表取締役)が島根県立大田高校を卒業して国士舘大に進学したのは46年前。入学とほとんど同時に始めたのが警備員のアルバイトだった。最初は「こんな働き口があるのか」と驚いたほどなじみの無い仕事だったが、その後もずっと警備業界で働き、今は相模大野に本社を構えて「敬愛される