さがみのフロンティア
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公衆電話は、携帯電話の普及で今や見つけるのが困難なほど激減したが、かつてはインフラ、ライフラインの一翼として大きなビジネス市場を創出していた。 通信・医療・事務機器等の工業塗装を手掛けるクニミ工業(相模原市緑区橋本台、小林孝至社長)も、往時の成長基盤は公衆電話機にあった。 同社は1961年に小
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住宅や校舎を建設する一方、道路・河川工事も手掛ける。と、ここまでは一企業としてよくある事業展開。加えて集合住宅清掃。これもあり得る。 しかし、その上埋蔵文化財発掘調査を手掛け、さらには舞台設置や音響・照明・映像システムの提供・運営など一連のステージサービスまでとなると、これはもう一中堅企業の仕業
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世に病院嫌いは多いが、こと歯科に関しては、40代以上なら一種のトラウマを抱える人もいるのではないか。 タービン(切削器具)の音が漏れ聞こえる薄暗い待合室はさながら葬儀場のようで、順番が近づくにつれ緊張が高まる。一昔前の歯の治療は、恐怖感と苦痛を伴うのが当たり前。歯科医も衛生士も無慈悲に思えたもの
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「和」は強い組織づくりの礎。社名に掲げる企業も多い。 医療用品や文具用品等の加工・検査・包装、樹脂製品の製造等を手掛ける広和産業(相模原市中央区小山)も、㝡住悦子社長の父で創業者の㝡住勝己会長が肝に銘ずる「和」を綴ったものだ。 かつて商社マンとして転勤を重ねていた勝己氏は、横浜支社時代に相模原
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戦後70年を迎えた。 広大な米軍相模総合補給敞は、いわば大戦の傷跡として、長らく相模原のまちづくりの大きな障害となってきた。しかし戦中まで遡れば、そこにあった相模陸軍造兵廠の存在が、後々の占領、施設活用を目論んでいた米軍の爆撃から相模原を守ったともいわれる。 また、造兵廠内で修得したものづくり
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ユネスコ無形文化遺産に登録されるなど、和食の魅力が国際的に認知されるのはうれしいことだ。 外国人にも人気の定番メニューといえば、寿司、懐石、天ぷら、そば、すき焼きあたりだろうが、一庶民としては、卵かけご飯こそ和食の神髄。安くて調理が簡単。栄養抜群で何しろうまい。 和食の食材が国外産ということも
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白い外壁に深紅のロゴが目立つ洒落た建物は、一見美容室かレストラン。日が暮れればライトアップされたロゴが浮かび上がり、カフェあるいはバーといった趣である。 「SHIBATA PAINT」のロゴから業務内容を十分理解できる人はほとんどいないだろう。 「通りかかる誰もが何の店?と思うはず。それでいい
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昔も今も、将来就きたい職業を小学生に問えば、「大工」と答える子がクラスに1人や2人はいる。時代が変わろうと、多くの人にとってマイホームを持つことは夢。そこに関わる仕事もまた、夢のある仕事なのである。 翔工務店(相模原市南区双葉1の12の24)の中山正太郎社長もそんな1人だが、一職人にとどまらず、
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「募集しても来るのは中高年ばかり」「若い世代は長続きしない」 相模原市内の中小企業ではこんな嘆き節をよく聞く。とりわけ悩みが深いのが、ものづくりに携わる工業系の企業だ。 食品関連のプラント設備等、ステンレス製品の加工を手掛ける双和製作所(相模原市緑区根小屋2078、齋藤睦社長)は、若手を中心に
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20代、30代が新居を求めるベッドタウンとして発展してきた相模原、町田両市民の平均年齢も、今や40代半ば。ますます進展する少子高齢化で、リフォーム事業の好況が続いている。 「嘘や偽りのない正直な仕事」 そんな中、リフォームに伴う住宅の建築・防水塗装等を手掛けるアヤノ塗装(町田市小山町804の4