白い外壁に深紅のロゴが目立つ洒落た建物は、一見美容室かレストラン。日が暮れればライトアップされたロゴが浮かび上がり、カフェあるいはバーといった趣である。
「SHIBATA PAINT」のロゴから業務内容を十分理解できる人はほとんどいないだろう。
「通りかかる誰もが何の店?と思うはず。それでいい」とにこやかに話すのは、柴田塗装(相模原市緑区二本松2の33の20)の柴田誠社長だ。
自らデザインしたロゴをはじめ、同社長のアイデアが隅々まで反映された新事務所は今年5月に完成。それはまさに同社の成長の証であり、将来に向けた決意表明のような存在でもある。
柴田社長がこの道に入ったきっかけは家業でも憧れでもない。実家の隣が塗装業者で高校卒業後、とりあえず手に職をという思いからだ。仕事は一生懸命やったが、しばらくして、ふと疑念が湧き起こってきた。このまま瞬く間に人生が終わってしまうのではないかと。
1988年、20歳を機に独立。経験2年で個人事業主として再スタートを切った。
当初はもっぱら業者からの手間請け。頑張ればそれなりの収入は得られるが、いい仕事をしても手柄は全て業者のもの。先々のメリットがないため、1年足らずで元請け1本の方針に切り替えた。
とはいえ、バブル景気真っ盛りという状況でも、経験2年余り、フリーの〝若造〟が易々と元請け仕事を獲れるほど世の中は甘くなかった。
すでに所帯持ちで幼子が1人。スタッフもいた。知人の紹介で半年に1棟手掛けるでは生計が立たず、基礎工事のアルバイトを掛け持ちした。
「景気の善し悪しなど感じる余裕もなく、ただ懸命に働いた。今思えば、貧しさを経験できたことは財産」と柴田社長は振り返る。
そんな生活を5年ほど続けた後、運が巡ってきた。仕事で縁のできたサーティーフォー(相模原市)の唐橋和男社長から手厚い助力を受けられるようになったのだ。事業が安定し始めた00年、初めて事務所を設けた。
唐橋社長からの助力は発注だけではない。10年ほど前、作業上、塗装とは密接な関係にありながらも業界の異なるサイディング分野への進出を強く勧め、後押ししてくれた。リフォーム事業が活況の昨今、外壁の塗り替えだけでなく、張り替え仕事を同時に元請けできることは同社の大きな強みとなっている。
「営業などできる質ではない」と自他ともに認めるシャイな柴田社長だけに、その表裏のない人柄が魅力。何の誘いも強制もなく、物心ついた2人の息子たちは自らの意思で家業に加わった。
26歳の長男翔也氏は現場の柱として、21歳の次男大樹氏は営業の柱として将来を担う存在だ。
「超えるべきハードルは高いが、将来は家を丸ごと建てる会社に育てたい」と話す柴田社長にとって、新事務所は一種のモデルハウスなのだ。
(編集委員・矢吹彰/2015年7月20日号掲載)