広和産業、承継したのは組織 事業だけでなく「和」の精神/医療用品や文具用品等の加工 樹脂製品の製造


就任9年目を迎える㝡住(もずみ)社長

就任9年目を迎える㝡住(もずみ)社長

 「和」は強い組織づくりの礎。社名に掲げる企業も多い。

 医療用品や文具用品等の加工・検査・包装、樹脂製品の製造等を手掛ける広和産業(相模原市中央区小山)も、㝡住悦子社長の父で創業者の㝡住勝己会長が肝に銘ずる「和」を綴ったものだ。

 かつて商社マンとして転勤を重ねていた勝己氏は、横浜支社時代に相模原の町工場に出向。経理や生産管理を経験したことが独立の契機となった。

 1984年、上溝に工場を借りて起業。前職で培った人脈を生かし、船出から住友スリーエム(現スリーエムジャパン)との取引を成立させた。

 人の「和」を重んじ「仕事は楽しく」をモットーとする勝己氏は元来、頼まれれば嫌とは言えないタイプ。商社マンとしての豊富な経験と相まって、無理難題と思える案件にも様々なアイデアを捻出し何とか応えようと努める。取引を重ねるにつれ、顧客との信頼関係は自ずと深まっていった。

 こうして同社は、まさにスリーエムとともに歩み成長してきた。文具用品やテープ製品、研磨剤、マスク、医療用品等の加工・検査・包装など、取扱品目、作業項目を徐々に拡大し、それに対応するために工場の移転、増設、拡張を繰り返した。

 株式法人化とともに現在の地に本社を移したのは98年だが、それ以後も主力工場は清新や小町通に置き、本社敷地内に事業を集約したのは2011年のことである。

 一方で同社は07年、大きな懸案事項だった事業承継を極めて円滑に遂行している。

 㝡住社長が、他社OLから家業に転じたのは95年。新規事業の受注にあたりコンピューターのオペレーターを必要とした勝巳氏がサポートを求めたのがきっかけだ。

 「転職の節目に父から頼まれ、気軽に引き受けた」と振り返る同社長にとって承継は当初想定外だったが、結果としてごく自然に進展したようだ。

 「入社してみると社員の大半は女性パート。父も60歳を超え、会社を閉めるのでなければ、自分が継ぐのが最善と思うようになっていった」

 就任まもなく襲来したリーマンショックを乗り切り、波にもまれながら社長業も9年目。受注の約9割を占めるスリーエムも、昨年名称変更するなど時代とともに大きく変化しつつあるが、ここ数年、業績は一定の増減内に維持している。

 とはいえ先の見えない時代。近年取得した医療機器、化粧品製造の分野を主体とした新規取引先の拡大や、パート社員の福利厚生の充実など、取り組むべき課題はある。

 「以前は会社を大きくしたいとの思いが強かったが、健全な持続こそが大切と思うようになった。チームワークに優れ、160人のパート社員一人一人まで納期厳守の意識が徹底しているのが当社の強み。先代が築いた財産をしっかり引き継いでいきたい」と㝡住社長。
 組織、事業だけでなく、「和」の精神もしっかり承継されている。

(編集委員・矢吹彰/2015年9月1日号掲載)

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