茂光製作所、機械加工の“万能工場”目指す/難題解決のプロセス楽しむ


メカが大好きな茂木さん

メカが大好きな茂木さん

 機械加工のあらゆるニーズに応える「コンビニエンスファクトリー」を目標にする茂光製作所(相模原市中央区宮下)。代表取締役を務める茂木康則さん(59)は「努力・信念・和を社是に社員一同頑張っている会社です」と自社を紹介する。社是は人を大切にする茂木さんの経営姿勢をそのまま表しており、「会社を大きくしようという気持ちはない。中身をしっかりさせて地域と業界の発展に貢献したい」と信条を語る。74歳から45歳まで12人のプロ技術者集団の先頭に立つ職人社長の半生を追った。(編集委員・戸塚忠良/2015年11月1日号掲載)

 ■父親が創業

 茂光製作所は1960年、茂木さんの父親、光一さんが脱サラして東京・大田区で創業した。設備は旋盤一台だけだった。5年後の65年に大手取引先がある相模原市淵野辺に工場を建設。66年に法人化した。

 82年には宮下に工場を建設し、翌年すぐ近くの現在地に移転。91年に株式会社に組織変更して現在に至っている。

 ■突然の事業承継

 茂木さんが両親と一緒に相模原へ転入したのは10歳のとき。「子供の頃からメカニックなものが大好きで、動くおもちゃを分解したり修理したりするのに熱中した」という。今でもゼンマイ仕掛けで回転しては元に戻るカエルのおもちゃを手元に置いている。

 高校時代には野球部で厳しい練習に明け暮れ、「負けずぎらいの気持ち、ライバルと切磋琢磨する精神を叩きこまれた。その後の人生で苦しい時期を乗り越えられたのは、つらい練習に耐えた体験があったからだと思う」と回想する。

 その半面、経営に苦労する父親と心配する母親の姿を見ながら成長しただけに、工学院大学を卒業するとき父親の会社を継ぐ気持ちはなく、地元の城山工業に就職した。自分の頭で考えて新しいモノを作り出したいという意欲を持って製造業の世界に飛び込んだのである。

 しかしそれも束の間、2年後に光一さんがくも膜下出血で倒れ、茂光製作所は暗礁に乗り上げた。そのときも茂木さんは「父の会社を継ぐのではなく、整理しようと考えた」という。

 だが、残務処理というには仕事量はあまりに多く、自分も含めて3人の社員で仕事を続けるしかなかった。新しい注文に対応するために機械を買い入れ、300万円の借金が肩にのしかかった。

 「正直な話、仕事が続くのかわからなかった。どうしようかと途方に暮れた。高校時代につちかった負けずぎらいの気持ちだけが支えだった」

 ■青工研に入会

 そんな苦しいときに知り合いの人から入会を勧められたのが、青工研(相模原市青年工業経営研究会)だった。

 若い経営者が語り合い、学び合うグループで、自分の考えや会社の経営状況をさらけ出し、互いに厳しい批判をぶつけ合うこともある。当時の会員は大半が創業者で、自分の事業にがむしゃらに取り組んでいる気鋭の人材ぞろいだった。

 「いろいろな思い出があるが、本音で意見を戦わすうち、自分の悩みなんて大したことじゃない、もっと大きい悩みを抱えて頑張っている若い経営者は沢山いるんだ、という見方ができるようになった」

 経営者としての成長を重ね、入会後10年あまりを経て会長に選ばれ、会をリードし自身が学んだことを後輩に伝える役割を担った。今も当時の仲間やそのつながりで付き合いのある取引先が少なくない。

 「青工研に入らなければ、父の会社を整理していただろうし、今の自分も無かったと思う」、力をこめてこう語る。

 ■設立50年へ

 現在の茂光製作所は、三次元測定機を使った高精度加工を業務の柱にしており、試作品対応、多品種少量生産、部品修理なども行っている。加工品の具体例は真空装置の心臓部の部品である真空装置ヒーターケース、高架橋の補強ブロックなど。取引先は市内の企業が中心だ。

 茂木さんは業界の現状について、製造業の海外移転の趨勢は強まっており、国内製造業の衰退は進んでいるとみている。

 そんな環境にあっても、油にまみれながらものづくりに汗を流すことに誇りを持ち、仕事でつながった人たちとの信頼関係を大切にしていく姿勢に変わりはない。

 「機械加工で困ったことがあれば何でも相談してもらい、こんなものができないかとか、うちではできないから、これをやってくれないかといった要望に応じている。困ったことを解決していくプロセスが楽しいし、自分の知らない世界を知ることもできる。気持ちをこめて対応すれば必ず次の仕事にもつながる」

 名刺に刷り込んだ土色と緑の二色のロゴには、「険しい台地で雑草の如く強く、青々と伸び茂っている様子を表しています」との説明を添えている。

 30年ほど前、50年以上社名を変えずに存続している日本の企業は8%しか無かったが、今はさらに減って4・7%と言われている。「当社も間もなく設立50周年になる。このまま社名を変えずに50周年を迎えたい」と、茂木さんは直近の目標を淡々と話す。

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