相模原を芸術のあふれる街にしたいー橋本欽至さん(ハシモトコーポレーション代表取締役会長)はこんな夢を描いて実現にむけた活動に奔走している。市内の芸術家たちと親交を深め、市民の力で芸術と文化のまちづくりを目指すグループを立ち上げ、市内芸術家の展覧会や中国・無錫市との日中交流絵画展を開催するなど多くの実績を積み上げてきた。今年早々市内の芸術家と経済人が市の文化・芸術振興について語り合う集いも初開催した。ハード面では、芸術作品や文化財を超高精細でデータ化するデジタルアーカイヴという手法を駆使して市民と芸術作品をつなぐ試みを重ねている。(編集委員・戸塚忠良/2016年1月20日号掲載)
■印刷技術に精通
橋本さんは大阪府の出身。4人兄弟の次男で、父親は印刷会社を営んでおり関西に拠点を置くイムラ封筒と強いむすびつきがあった。
イムラ封筒は昭和30年代から関東へ進出し、1966年に相模原に工場を新設。それと同時にオフセット印刷設備を導入したが、それをうまく運用できなかった。
そこで急きょ「体一つで来てくれ」と呼び寄せられたのが、28歳の橋本さんだった。「私が一番現場に精通していたから」というのが理由だ。それ以来、始めは父の会社の神奈川工場として操業し、後にハシモトコーポレーションとして独立した。
この間社業の振興に努めると同時に、市内印刷業者の協同組合設立にも尽力し、設立後に短い間だが理事長を務めた経緯もある。
その一方、92年に設立された相模原芸術家協会との関係を深め、市美術界の重鎮で上溝出身の日本画家吉川啓示氏の作品展を自社内のギャラリーで開催し、吉川氏の作品集「相模原百景」も出版した。
■相鑑舎を設立
さらに2011年には相模原の芸術振興を図り、芸術と市民をつなぐ活動の拠点として「相鑑舎」を設立した。その設立趣旨には「人々に開かれた芸術の街、芸術に開かれた街・相模原を作りたい」という目標が掲げられている。
この目標に沿って人々が芸術を身近に楽しむ手法として橋本さんは「複製」の効用を強調する。「もともと芸術作品は一カ所に一つだけ存在する訳だから、その場所へ行かなければ鑑賞することはできない。しかし、印刷はその閉鎖性を打ち破るポテンシャルを持っている」ということだ。
実際の手順としては「多くの芸術作品をデジタルデータ化してアーカイブを作る」という方法だ。最新のデジタルカメラとスキャナー技術を駆使したジークレー版画法によって芸術作品を精細に複製する。言い換えればデジタル処理した版画だ。
原寸はもとより需要に応じて拡大・縮小もできる。これまでは不可能だった精度を高く複製することで、原画の素晴らしさを鑑賞する人にそのまま伝えることができるのが大きな長所だ。
今、社内のギャラリーにはこの手法で制作した成田禎介氏の大作風景画や刺繍仏涅槃図(浄土宗安楽寺蔵)などを展示している。
■多彩な事業
それと並んで相鑑舎の活動として特筆されるのは、展覧会などの積極的な開催だ。上條陽子氏(相模原芸術家協会会長)のパフォーマンスと展覧会を皮切りに、戸田みどり展、江成常夫写真展、成田禎介展などの個展を開催。
そのほかにも、「詩と絵画のコラボレーション展」の後援と画集出版、「相模原から美術を考える~街全体をアートセンターに」と題するシンポジウム、日中交流絵画展など特色ある催しを開催してきた。
なかでも中国・無錫市との交流は深まっており、昨年は同市で「江成常夫写真展―まぼろし国・満州と戦争孤児」、無錫市書画院と相模原芸術家協会30周年交流展を開き、茶会も開催して好評を得たという。
■芸術と街をつなぐ
これらは皆、市内に在住する芸術家の優れた作品を多くの人に知ってもらうための活動と言えるが、もう一つ、橋本さんが今後の芸術振興のために大切だと考えているのは、市内経済人の理解と支援だ。
「多くの経済人の力添えがほしい。今は世界的な企業が相模原に進出して来る時代。相模原の経済人も地元の文化を世界に発信するという気概を持つことを期待したい」という言葉に熱を込める。
この思いのもとに1月8日に江成氏、上條氏、遠藤彰子氏ら市の代表的な文化人と経済人が一堂に会する「文化の集い」を開催。芸術振興に向けた市経済界の支援を呼びかける一歩とした。
「相模原に文化・芸術のうねりを巻き起こし、街全体を芸術センターにしたい」という壮大な夢は、相模原の街づくりと表裏の将来構想と言える。つまり、未来に生きる子供たちに伝える夢である。「相模原から芸術文化を発信すれば、子供たちがこの街を誇りに思うはず」という言葉にはこの思いがこもる。
自分の思い描く街の形成に向けて自ら行動している橋本さん。多くの芸術家、経済人、市民が手を携えて動き出せば、橋本さんの脳裏に刻まれている文化と芸術の街相模原のイメージが、未来というスクリーンに具体的な像を結ぶに違いない。