町田・デザイン専門学校(町田市森野)の創設者で理事長を務める井上博行さん(75)は、幼き日に見た大工の夢を信じる力に変え、「1級・2級建築士」として実現。同市議を務めながら教育の改革に努める一方、技術やノウハウを後世に伝えようと専門学校の創設に乗り出す。ドイツのマイスター制度に魅せられ、日本のものづくりを「徒弟制度」で守ろうと提唱している。「自分を信じる力」で夢が実現できることを、より多くの若者に伝えようと精力的に活動を続ける。
(芹澤 康成/2016年5月20日号掲載)
■大工への憧れ
井上さんが「ものづくり」に興味を持ったのは、幼少期に見た母屋の新築がきっかけ。棟梁と親しくなり、材料の手配から内装まで細かな作業を見せてもらった。さまざまな職人が互いに協力しなければ家が完成しないことを知った。
工業高校を卒業した1958年、東京・銀座にあった準大手の建設会社へ入社。設計部に配属され、すぐに木造住宅やビルの設計を任されるようになった。技術的な自信が付き、見よう見まねで、自宅の母屋に6畳の下屋を建てたこともあるという。
入社から4年目で図面も引けるようになると、上司から2級建築士の取得を勧められた。「資格があれば給料も上がる」と聞くと、自然と闘志が湧いた。
井上さんは銀座から町田の自宅に帰ると、疲れた体に鞭を打ちながら勉強に励んだ。「次第に好きな仕事だと感じていたので、苦にはならなかった」と話す。努力の甲斐あって、2級建築士の資格を取得できた。
「これで一般の住宅や小規模の共同住宅などの設計・施工管理を行える」と喜んだのも束の間だった。後から入社した大卒者の初任給が、4年の実務経験と2級建築士の資格を持つ自身の給料よりも高いことを知り、初の屈辱感を味わった。
温厚な気質だと自覚していた井上さんが、生まれて初めて怒りを覚えたという。「独立の道しかない。いつか、1級建築士の免許を取ってみせる」と誓い、会社を起こす準備を始めた。
■事務所を設立
1年後の63年6月、5年間のサラリーマン生活に終止符を打った。60万円の退職金を元手に「井上建築設計事務所」を森野に開設した。
事務所は木造平屋建ての約8平方㍍。23歳だった井上さんに仕事の依頼はなく、自分で仕事を探して食べていくことの厳しさを思い知った。
設計に必要な「青写真」の複写をする仕事を並行して始めた。市内に同業他社がなかったことで、複写・印刷とDPE(写真の現像・焼き付け)を請け負う事業は大成功だった。東京郊外のベッドタウン化の波に乗り、事務所が手狭になるほど仕事が増えていった。
「井上建築設計事務所」から青写真印刷業を分離し、新たに「井上写真工芸社」を創設。会社経営に興味を示した父を社長に据え、弟に実務を任せた。2年後にはさらに下の弟や兄も加わるようになった。
この時、2級建築士の資格を取得してから4年が経っていた。「1級建築士」という新たな目標が固まり、仕事が終わると机に向かう日々を始めた。
井上さんは「夢は未来の現実にとって必要なもの。自分の信念に従えば、困難とも思われる無限の可能性へ挑戦できる」と力説する。
■技術の継承へ
町田市議を11年半務めた井上さんは、政治の役割が教育の改革だと悟り、「文教行政」を貫き通した。特に、桜美林学園と玉川学園の創設者2人の「畳の上でなく教壇で死ぬ」という生きざまに感銘を受けた。
井上さんが町田市の市政に携わって3年。学校を作る側に立ちたいと真剣に考え始める。「技術やノウハウを受け継ぐ若い世代が育たなければ国が駄目になる」と気付き、「ものづくり」の専門学校の創立を決意した。
「自分の信頼する部下が経験を積むと、必ず建築士の資格を取って会社を辞めていく。まるで建築士の養成所ではないかと思った」と苦笑する。
76年、学校教育法に専修学校の規定が加えられ、制度化したことが転機となった。学歴偏重ではなく、個人の適正にあった進路選択を国が認めた形だ。
2年間の準備期間を経て、78年に専門学校「多摩造形学園」を創立。建築学科2人、デザイン学科5人の計7人からのスタートだった。
各分野の専門家を講師に据えたダブル・ツー・マン体制の濃密な授業は、人間らしい手作りで温かみのある授業を繰り広げるようになった。カリキュラムに見積もりや契約書の作り方などのビジネス講座を加え、商談もできる実践的な人材の育成に乗り出した。
82年には学科構成を再編して、現在の「町田・デザイン専門学校」に改称した。これを機に「建築」「政治」「教育」の3足のわらじを脱ぎ、学校経営に専念するようになる。
■創立の原点に
同校は2013年6月で、開校25周年を迎えた。ものづくりの専門学校として原点回帰する意味も込め、ドイツのマイスター制度やバウハウス、デュアルシステムを和製化する企画を打ち出した。
井上さんは、働きながら学ぶ「デュアルシステム」に日本独自の師弟制度を加えた「和製デュアルシステム」を提案する。「美しいデザインはち密な工房の中で培われる。専門学校をその工房にしたい」と意気込む。