広島・長崎の原爆投下日や終戦記念日を前に、相模原市の「2016市民平和のつどい」が7月31日、市立勤労者総合福祉センター(緑区西橋本)で開かれた。応募した市民ら約200人が被爆体験談や講演に耳を傾け、核兵器廃絶や平和のあり方を考えた。
「相模原原爆被災者の会」による被爆体験講話では、会長の丸山進会長と梵(そよぎ)千代子さんが登壇した。1945年8月6日を振り返り、原爆が爆発した時の様子や被爆地の惨状、被爆者のその後を伝えた。
当時、広島県三次市の高等女学校に通う女学生だった梵さんは、勤労奉仕で戦闘機「紫電」の補助翼を作っていた。原爆が爆発した瞬間を「カメラの撮影に使うマグネシウムを炊いたような閃光」と例えた。
梵さんは、被爆者を駅まで迎えに行き、リアカーに乗せて病院まで運んだという。「成す術なく亡くなっていく人を見るのは、言うに言えない辛さがある。悲しさを通り過ぎた感情だった」と話し、涙を拭った。
戦場カメラマンの渡部陽一氏の講演は、「世界からのメッセージ」がテーマ。独特の語り調子と体全体を使ったボディランゲージで、戦争やテロの悲惨さや戦場で見た家族の絆について話した。
渡部氏はアフガニスタンやイラクなど、世界の戦場や紛争地帯、テロの現場で撮影を続ける。「戦争ではいつも子供が被害者だ。相手を知り、理解することが平和への近道になる」と強調し、教育の重要性を説いた。
(2016年8月10日号掲載)