「知的障害者サッカーを盛んにしたい」という熱い思いを胸に、環境整備のために奔走している竹澤静江さん(相模原市南区)。同じ目標を持つ12人のグループ、知的障がい者サッカー推進連盟の理事長を務めている。自身も障害児を持つ母親で、義務教育を終えた知的障害者は特別支援学級に進んでも部活動を体験することができず、休日も若いエネルギーを発散する場が少ない現状を改善しようと、11年前からサッカー推進のため県や市などへの要望活動などに取り組んでいる。竹澤さんに話を聞いた。
(編集委員・戸塚忠良/2016年10月20日号掲載)
■知的障害児を支援
竹澤さんは1968年、横浜市に生まれ、3歳のときから相模原市で暮らしている。市自治連会長だった父の地域活動を見ながら育ち、市への愛着は深い。サッカー推進活動も「相模原を福祉スポーツの先進市に」という思いと表裏一体だ。
次男の海音さん(17)が幼児のときに知的障がいがあることに気づき、子供の将来を考えた時、夢多い思春期に生活すべての面で選択肢が限られていることを痛感した。
「知的障害児・者がスポーツを通じて自分の持っている能力を発揮し、健常者と交流しながら連携し合う共生感覚を身に着けてほしい」との願いをバネに、サッカー推進を目指す活動を始めた。現在、グループのNPO化を相模原市に申請している。
手本とも目標ともしているのは、Jリーグの横浜マリノスの取り組み。チームの社会貢献活動の一環として、知的障害者のチームを傘下に置き、岩手県石巻市に送って同地のチームとの交流試合をしている。「相模原でもチームを作り、サッカーを通じて多くの人との交流を深めてほしい」と熱をこめる。
母親の言葉を裏付けるように、県立橋本高校内の相模原養護学校橋本分教室に通う海音さんは「サッカーは楽しい。僕たちがパラリンピックの様な大会に参加できる様に願っています」と目を輝かせて語る。
■夢はチーム設立
今、市内の知的障害者サッカー人口は、20人から30人。年代は16歳から40歳代と幅広い。一般のサッカー愛好者の数に比べれば、微々たるものだが、それだけに「サッカーを通じて自分の持っている力を発揮し、将来は社会の中でその力を生かしてほしい。そのための環境整備に県や市、日本サッカー協会の支援を」という竹澤さんたちの願いは切実だ。
市に練習場所の確保を要望しているが、「期待するような返事をもらえません」という。場所の確保が難しいため、決まった練習日は設定できないのが実情だ。
また、市内のチームがないため、横浜市が受け付けている選手だけしか試合を体験できない。相模原市のチームを作って市内外でいろいろな交流試合を楽しみ、強化チームを作り活躍することがプレーする人とスタッフの夢だ。
■偏見を超えて
竹澤さんが知的障害者と健常者との日常的な交流が活発になることを何より願っているのは、それが人の心に共生感をもたらす望みがあるからだ。
「健常者である若者が障害のある同世代の若者と交流することで、健康で友達と自由に付き合える有難さと大切さ感じる機会にしてほしい。楽しい日常が決して、誰にとっても当たり前のものであるのではないことを知ってほしいのです。障害を背負いながら日々を過ごす人たちを支えようという気持ちを持ってほしいと願っています。その気持ちが、共に生きる感覚、共生感を生むと思います」
偏見や差別の無い共生社会を願う気持ちの底には、「知的障害は目に見えないため、人に伝えることが難しいのです。特に思春期の悩みや生きづらさをほかの人に分かってもらうことはなかなかできません。でも、若者が持っている生きる情熱には障害のあるなしに関わらず、同じ輝きがあるのではないでしょうか」という信念がある。
■福祉スポーツ先進市に
グループは専用のカレンダーを作り毎月、ラインで情報を交換し合う。目下の対外PR活動は毎年2度の市民へのアンケート。知的障害者サッカーについての声を集め、活動の資料にしている。
知的障害者サッカーの国際組織で世界大会も開催している、日本知的障がい者連盟の情報収集にも努めている。
「国が障害者スポーツ事業を厚労省から文科省に移管するなど振興に向けた動きを始めたのを好機として、相模原市も国の姿勢と歩調を合わせて福祉スポーツの振興に取り組み、その先進地という特徴を打ち出してほしい。多くの人が訪れる求心力を備えることができるのではないでしょぅか」と話す表情には、自らの活動を地域の将来像と重ね合わせて前進させようという意欲がにじむ。
看護師の資格を持つ竹澤さんには、もう一つ別の顔がある。株式会社トータルシーエイ社長。知的障害者を雇用して経済的自立を助けるため、6年前に始めたリフォーム会社だ。
「まだ、障害のある人を雇用するまでにはなっていませんが、目標を実現するため5人の従業員と一緒に頑張っています」と女性社長の弁。子どもたちの純粋さや優しさを語った際にはあふれる感情のまま目に涙さえ浮かべた竹澤さんだが、この時ばかりは笑顔になった。