「FM HOT 839」の愛称で相模原市の一部と近隣地域に情報発信している、エフエムさがみ(相模原市中央区相模原)。11月1日にその代表取締役に就任した平岩夏木さん(56)は、局と関わって18年。番組制作、現場取材はもちろん経理を担当した経験もある百戦錬磨の元気な女性報道人だ。「社長になりたいと思ったこともなかったのですが」と苦笑交じりに語る一方、「ラジオ局としてもっと積極的に表に出ていきたい」と地域密着メディアの新たなリーダーとして熱く抱負を語る。
(編集委員・戸塚忠良/2016年12月10日号掲載)
■活発な少女期
平岩さんは京都・東山五条の出身。小学生のとき相模原に引っ越し、谷口台小、麻溝中で学んだ。麻溝中では一期生。「校則も一年生みんなで作った」という。高校進学の受験勉強で深夜ラジオのファンになった。
県立相模原高校時代の部活は郷土研究部。上溝、麻溝での石仏調査は地域の記憶にふれるフィールドワークだった。放送委員も務め、夏の甲子園の県大会決勝戦やTBSテレビの番組でレポーターを体験した。
桜美林短大に進学後、始めのうち教室の雰囲気になじめなかったが、半年ほどたったとき同級生の一人が「一緒に遊びに行かない?」と誘ってくれたことがきっかけになって楽しく通えるようになった。
話しかけられるうれしさを知って、顔にやけどがあり言葉少ないクラスメートに積極的に話しかけて仲良しになった。「自分の体験で言葉の持つ力を無意識のうちに感じていたのかもしれません」と振り返る。
■多彩な職歴
就職先は旅行代理店の日本旅行。入社試験で肝心要の地理ができず、「入社するまでに全国の主要な地名や駅名を覚えられるようにしっかり勉強するから」と約束して採用された。地図と時刻表を買い込んで必死に覚え込んだことは言うまでもない。
最初の2年は経理、その後の2年間はチケットの手配や窓口業務を担当した後、結婚、退職した。
相模大野の新居で専業主婦の生活を送るはずだったが、元の会社の子会社から「新しい部署を設けるから手伝ってほしい」と声がかかり、国際線のチケットを手配する業務についた。
だが、会社は新橋にあり、「もっと近いところで働きたい。そのためにも、自分の手に職をつけたい」という気持ちが強くなった。
そこで普及しつつあったワープロを習ってそのインストラクターになる計画を立てたが、実行に移す前に横浜のゼロックスの求人に応じ、子会社で原稿入力などの業務に携わった。
■地下鉄サリン事件
その4年後にオーストラリアの専門学校の事務局に転職し、32歳のとき出産。母親の協力もあってフルタイムで働いていた1995年3月20日、日本中を震撼させた大事件と出会った。地下鉄サリン事件である。
サリンがまかれた電車の一台前の電車に乗り合わせ、駅と駅の間で止まった。大手町駅に到着後地上に出ると、おびただしい数の救急車とパトカーが走っていた。「電車一台の違いで人の運命は大きく変わるものだとつくづく思いました。思い出すたびに胸が痛みます」という。
通勤時に人の命が奪われる事件に遭遇したことは、自分の仕事のありかたを見直す転機になった。「子育て中の母親としての責任を考えさせられ、子どもに万一のことがあったときすぐに駆け付けられるようにしなければと思った」。会社はきっぱり辞めた。
しかし、「手に職をつけ近くの職場を見つけたい」という思いを捨てたわけではなく、自宅で保育士の通信教育にチャレンジ。筆記通訳のボランティア活動にも参加した。
■FMさがみ
96年9月に開局したFMさがみのボランティア募集のニュースを知ったのは開局2年後の98年。すぐに応募して採用された。最初に担当したのは、専門家に話を聞く15分の録音番組だった。
電波を通じて地域の情報を発信する仕事のやりがいと楽しさがどんどん深まり、次第にのめり込んで現場中継や経理などにも活躍。子どもを膝に置いて生放送のマイクに向かったこともあり、スタッフが保育園に子供を迎えに行ってくれるというサポートもあった。
企画面では、「主婦の目、母の目、女の目で厳選したとれたての情報を提供する番組を作りたい」という趣旨で、毎週月曜日から金曜日の10時から13時までの「とれたてランチボックス」をスタートさせた。5人のパーソナリティーが日替わりで進行役を務めている。「みんなが本音で話しているので、リスナーからの反響があります」という。
現在、会社の常勤スタッフは8人、加えてボランティア協力者が100人以上を数える。社長就任の感想を問うと、「これまで通り地域文化の一端を担いたいという気持ちで自分の役割を果たしていきます」と気負いはないが、FMHOT839の今後については、「今まで以上に地域に役立つ放送局にしていきたい。どうすればそうできるかをスタッフと一緒に考え、形にしていきます」と、真摯な表情に意欲をにじませる。