カフェという今風の呼び名より、喫茶店というどこか懐かしい響きを持つ呼び名がぴったりの「異邦人」(相模原市中央区千代田)。相模原税務署近くに開店してから36年。店のマスターでもあるオーナーの久保田仁さん(61)は、この店の経営一筋に人生を歩んでいる。開業当初の繁忙期、バブル崩壊後の不景気、数多くの同業店の開店・閉店など経営環境の変転の中で、「中途半端な経営はしない」という信念を支えに創業当初の「街の中のいやしの場でありたい」という姿勢を貫いている。(編集委員・戸塚忠良/2017年1月1日号掲載)
■開業準備
地元出身の久保田さんは大学卒業後まもなく、喫茶店を経営しようと決心した。学生時代に飲食店でアルバイトし、その後フランチャイズの店長の経験もあった。
当初は反対していた両親を説き伏せて、父親の保さんの所有地に店舗を建設して開業する運びになった。25歳のときである。
開店に先立って自分流のマーケティングを実行。「当時市役所周辺に喫茶店が65店舗あった。その一軒一軒に足を運び、サービスの内容や価格を自分の目で確かめた。よく分かったのは、昼は定食屋夜はスナックというようなどっちつかずの営業だと結局は常連だけの店になってしまうということだった」という。喫茶店激戦地の名古屋も見て回った。
見聞を通して、リピーターを獲得するには店のインテリアを充実させることが大切だと感じ、店舗の壁面をレンガ造りにし、客席のテーブルの表面に銅板を張ることにした。「頻繁に手入れする必要が無く、時間がたつにつれて味わいが出ると考えたから」だ。
■「異邦人」開店
こうしてオープンした喫茶店「異邦人」は大盛況。おもな客層は市役所、税務署などの職員、周辺の事業所のサラリーマンだった。その盛況ぶりに隣接地に相次いで喫茶店ができた。
「こんなに流行るなら、相模原駅前に支店を出したら」と勧めてくれる人もいたが、久保田さんは首を縦に振らなかった。「ある先輩から『一時の勢いで支店を出すのは止せ』とアドバイスされていたから」というのがその理由だった。
最初の勢いは間もなく壁にぶつかった。バブル崩壊による景気の落ち込みに直撃されたのである。「36年間を振り返ると、この時期のことが一番強く印象に残っている」という久保田さん。経営を見直し、従業員を削減した。周辺の喫茶店はほとんど姿を消した。
「景気の底にぶつかったことで、一生懸命に生き残りにはどうすればいいかを考えた。自分にとって貴重な勉強になった。この店が今あるのは、この時期の経営見直しが大きな力になっている。そうでなければ、浮かれた気分の放漫経営になっていたと思う」
■様々のこだわり
店のメニューには久保田さんなりのこだわりがある。「コーヒーは水が勝負」と力を込めるように、店の命ともいえるコーヒーには水道水は一切使わず、天然水だけを使っている。「天然水で淹れたコーヒーの味の良さはお客様に分かってもらえるはず」と自信の表情をのぞかせる。
人気メニューのスパゲティミートソースの味つけにもこだわった。「評判の高い都内の専門店に何度も足を運び、味付け法を盗み見る様にして覚え込んだ。何日も続けたので、最後は疑わしいと思われたようだ」と笑う。「それでもその店の味に仕上げられたと思う」と成果のほどを語る。
女性客に人気があるサフランライスには、サフラン本来の味を持つ高価な素材を使っている。経営上は厳しいが、「似たような安い素材でごまかしたくない」という言葉に力をこめる。
ランチの価格はホットコーヒー、サラダ付きで800円前後が多い。これも「千円を超える値段ではサラリーマンにホンワカとした気分でランチを楽しんで頂けないから」というこだわりがあるからだ。
■生きがいはテニス
落ち着いた雰囲気の店内は、開業当初の狙い通り36年間、タバコの煙で変色した天井以外は一度も改装していない。今ではレトロな風格さえ漂う街のオアシスだ。
一人で自分の時間を過ごす男性、おしゃべりを楽しむ女性グループなど客僧は広く、「3人の女性スタッフの接客が店の自慢の一つ」と久保田さんは笑顔で語る。
営業時間は午前9時から午後5時、日曜・祝日定休という日々の中で、90歳の父親保さんの介護も務める久保田さんが「生きがい」に挙げるのは、テニス。市民選手権大会35歳以上の部で優勝経験もある市内屈指のプレーヤーだ。
「息子は商社マン。この店は私一代で終わるかも知れないが、生きてている間は社会に必要とされる人間でいたいし、いつまでもテニスを楽しみたい」と自身のこれからを見つめている。