涌田さん、上溝出身の方成紹介/研究成果展示


調査・研究してまとめた資料について説明する涌田さん

調査・研究してまとめた資料について説明する涌田さん

 相模国上溝村(現相模原市中央区上溝)出身で明治天皇の侍医を務めた伊東方成(87)を扱った「郷土の偉人 伊東方成展」が昨年12月1日から25日まで、相武台公民館(南区新磯野)で開かれた。相模経済新聞で「近代人物評伝」を連載する郷土史研究家の涌田佑さんが、足跡や業績を個人で収集・まとめた成果を公開した。

 同18日には、涌田さんがギャラリートークを行った。当時の貴重な写真や史料についてトリビアを織り交ぜながら進める説明に、郷土史に関心がある市民ら約30人が耳を傾けた。

 方成は、上溝で代々医師だった旧家「鈴木家」の長男として生まれ、師事した蘭方医・伊東玄朴の娘と結婚して養子となった。長崎養成所でオランダの軍医ポンペに西洋医学を学び、幕命で1862年からオランダに約8年間留学した。視力検査表の翻訳などを手掛けるなど、眼科医の先駆けとなった。

 オランダ留学には、のちに函館戦争で幕府軍を指揮した榎本武揚、法学者の西周(あまね)ら、明治政府で要職に就いた偉人らも同行。ジャワ沖のガスパル海峡で難破するなど、品川からオランダまで324日を費やす過酷な航海だった。

 涌田さんは、方成が侍医時代に書いた「明治天皇紀」の抜粋も展示。明治天皇の皇子・皇女が幼没した原因を白粉(おしろい)が原因の脳膜炎と診断し、医学上の大きな功績となったエピソードなどを紹介した。
(2016年1月10日号掲載)

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