町田商工会議所は今、中長期ビジョンに基づく様々な事業に取り組んでいる。「ヒトと共にヒトを創り、ヒトを活かす街を目指して」を活動方針に掲げたこのビジョンは、中小・小規模事業者の絆を深め市産業の振興と活性化への一助とするためのもの。策定を推進した深澤勝会頭(60)は地元に生まれ育ち、企業家としても地元に根付いた事業を積み重ねている。それだけに町田への愛着心は強い。その深澤さんに地元振興への思いと中長期ビジョンが目指す町田の将来像を語ってもらった。(編集委員・戸塚忠良/2017年2月20日号掲載)
■創建を創業
深澤さんは町田市図師町の生まれ。高校生の頃から「自分で商売をしたい」という希望を持ち、将来像として創業者をイメージするようになった。
21歳のとき銀行の傘下にある不動産関係の企業に就職。3年後には叔父が経営する不動産会社に転職した。バブル経済期にさしかかった頃で、町田市内の取引は活発だった。
ところが1991年のバブル崩壊で景気は急降下。12年間勤めた会社も不振に陥った。そこで独立を決意。92年のクリスマスイブに㈱創建を設立した。「社名に創の文字を入れたかった」というのが命名の由縁だ。翌93年、町田市木曽西のビルを買い取り開業した。
「当初は借りる予定で話を進めたが、買い取ってほしいという相手の要望を受けて自社ビルにした。設立についてもその後の事業資金の融資についても地元のJAと八千代銀行の人たちに大変お世話になった。今でも心から感謝している」と、真情あふれる表情で回顧する。
不景気で土地の価額が低迷していたため、当初から不動産の分譲に軸足を置いた業務を展開した。「他人を押しのけてものし上がるという気持ちは無かった。業界全体のレベルアップを心がけながら仕事をしていれば、会社の業績も上がるという気持ちが強かった。そのためにも、人に嘘はつかないということをいつでも自分に言い聞かせた」という。
■JC理事長
この時期はプライベートでも貴重な経験があった。所属していた町田青年会議所(町田JC)の理事長を務めたのである。メンバーは未来の地域リーダーを目指す意欲に満ちた人たちで、企業の二代目、三代目が多い中、創業者である深澤さんは型にとらわれない自分なりの発想で活動をリードした。地域の今と未来を見つめ、自分にできることを実行する貴重な機会を得たのである。
95年には町田JCから出向し、日本青年会議所(日本JC)東京ブロック協議会会長も務めた。
■商議所会頭に
社業は総合ハウスビルダーとして町田市の発展と歩調を合わせて着実に伸長し、地元密着の不動産企業として信用を高めた。
その後、社会の急激な変化にともない不動産へのニーズが多様化しているのに合わせ、分譲住宅の販売だけでなく賃貸業にも積極的に取り組むようになった。現在は新築分譲のほか所有するビル・倉庫・駐車場の賃貸業務にも力を入れている。
一方、産業の振興を通じて町田市の振興を願う気持ちも途切れることなく、町田商工会議所会員として商議所の活動や会員拡大に活躍。2013年11月、会頭に就任した。
就任早々、策定作業が進行していた中長期ビジョンの仕上げに取り組み、商議所創立25周年にあたる04年3月に発表した。
■中長期ビジョン
「ヒト」をキーワードにしたこのビジョンは、人の能力を最大限に生かすこととそのための場の提供、企業経営の強化のための人材育成、市内関係機関との関係強化、組織・財政基盤の強化などを理念に掲げている。
さらに、重点施策として賑わいの創出と活気ある街づくり、地域ブランドの創出、事業機会の拡大人材育成を活かした雇用創出、会員サービス事業の充実と利用促進などを設定。
これらの実現に向け、商議所の情報発信力強化、少子高齢化と人口減少に対応した商店街振興の推進、観光・文化・スポーツの地域資源の活用、商議所会員の増強など15のアクションプランを盛り込んでいる。
2024年を目標年度とするこのビジョンについて、深澤さんは「時代のニーズに対応する経済活動の牽引役として商工会議所の変革に努め、市をはじめとする関係機関とも連携して市の産業振興のために全力でビジョンの推進に努めたい」と意欲あふれる表情で語る。
そして町田の将来を展望して「だれもがここに生まれ、ここで生きていてよかったと思える町田にしていきたい」と、笑顔をのぞかせながら語る一語一語に、ふるさと町田への愛着がにじむ。