渋谷英明さん、苦境乗り越え安定経営/産廃物処理業の先端歩む


ゴルフが趣味の渋谷さん

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厚木市上依知に本社を置き、相模原市田名、北関東、富山に事業所等を持つ産業廃棄物処理業のエスアール。その創業者で現会長の渋谷英明さん(75)は、若い頃からこの業界で苦楽を味わってきた。40歳代後半に会社を設立してからは時代の要求に積極的に対応しつつ順調に事業を拡大したが、リーマンショックに端を発した不況により一時は会社存亡の淵に立たされる苦境も経験した。社員の協力もあってこの危機を乗り切った後は、地球環境の保全を掲げて安定した経営を続けている。(編集委員・戸塚忠良/2017年12月10日号掲載)

■産廃処理業へ

渋谷さんは1942年長野県下伊那郡阿智村出身。子供の頃は畑仕事を手伝うのが当たり前で、田植えも稲刈りもこなした。高校卒業後に東京へ働きに出た。

「東京に来た頃は格別の夢は無かったが、会社を作って人を遣えるようになりたいとは思っていた」という。

靴屋、紙屋、魚市場、自動車修理などさまざまな仕事を経験した後、結婚。新妻の姉の夫、つまり義兄と知り合ったことが人生の大転機になる。

義兄は湯河原町で廃棄物処理業を営んでおり、渋谷さんは一緒に働くことになった。74年、二人は相模原市宮下に廃棄物処理工場を開設した。「日本で最初の処理工場だったのではないか」という。会社は年を追うごとに業績を伸ばした。

■エスアール創立

16年たった90年、渋谷さんは独立を決意し住所である津久井郡城山の自宅を所在地にして㈱エスアール(SR・資本金2千万円)を設立。群馬県太田市に営業所を開設した。社名のSにはサービス、Rにはリサイクル・リユースなどの意味をこめた。

翌年に相模原市田名に営業所を設け、94年には環境装置の販売へ業務を拡大するため㈲エスアール技研を設立。2000年にはISO14001を取得し、売り上げも10億円を突破した。

その後2度にわたる増資、M&Aによる富山工場開設と業務拡大といった発展を続け、08年には売上高20億円を突破するまでに至った。

■リーマンショック

だが、思いがけない落とし穴か待ち受けていた。08年9月に始まったリーマンショックとそれに伴う不況である。

「売り上げが22億から15億に減った。自動車と半導体業界からの受注の落ち込みが特にひどく、毎月500万、300万の仕事があった取引先の注文がゼロになるほどだった。債務超過になり、従業員の給料をどうしようと悩んで夜も眠れなかった」、経営者ならではの苦しみをこう回顧する。

この苦境から脱するための方策は何だったか。「従業員を辞めさせることは、絶対にしたくなかった。困った末に賃金カットに踏み切ったが、カットした分を会社の借入金に算入した。景気が好転して会社の業績が回復したらその分を従業員に返す方法だった。みんなが理解してよく耐えてくれた。私も働く仲間への信頼感を一層深めた」と語る。

必死にこらえるうち、民主党政権に移行後の09年に成立した中小企業金融円滑化法も追い風になって経営状態は改善し、カットした分の賃金はほどなく完済した。

苦境脱出への過程で経営者と従業員の絆が強まったことは間違いない。

■会社の現況

会社創立25年目の14年に過去最高の売り上げ26億円を記録し、債務超過を脱した。同年、双子の実子に営業と財務を分担させるなど将来的な事業承継への道筋をつけた渋谷さんは社長を退いて代表取締役会長に就いた。

現在、本社では廃油、廃PCB、感染性物質などの特別管理産業廃棄物の積み替え・保管と、産廃物中間処理・保管業務を行っている。

相模原リサイクルセンター(中央区田名)は有害物(重金属・VOC)を無害化処理し、再資源化できるもののリサイクルを担当。

また本社と同じ敷地内にあるエスアール技研ではバイオによる窒素除去装置(BMアクアシステム)の設計施工販売、レアメタルリサイクルなどを行っている。

このほか、廃棄物の分析と工程管理・処理技術の研究と開発などを行う富山事業所があり、栃木県足利市に営業所、群馬県太田市に業務拠点を擁している。

最近の業績は順調で、2期4度従業員に特別賞与を支給し、2%程度の賃上げも行った。「職場と従業員の生活の安定」という会社の基本理念の表れだ。

渋谷さんは「環境保全を最優先に考え、さまざまなニーズに応えてきた。これからも効率性が高い処理技術の開発に努め、社会に貢献していきたい」と将来への展望を語る。

ちなみに、四季の景観と星空が魅力の温泉宿としてテレビなどで取り上げられている長野県月川温泉郷「野熊の庄 月川」は、寒村の農家から癒しの宿へと様変わりした渋谷さんの生家である。

 

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