佐々木豊さん、元サンボ世界チャンプ /ダイエット革命を出張指導


ギターが趣味で高中正義の大ファン

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「武器を持たない自己防衛」が名前の由来とされるサンボの元世界チャンピオンで、現在は自ら考案した体脂肪コントロール法の普及に向けた事業に奔走している佐々木豊さん(52、相模原市中央区)。本州最南端のまち和歌山県串本町に生まれ、中学校で柔道、高校でレスリング、専修大でサンボと出会った。出張レッスンに忙しい日々を送るが、「太ったりやせたりにこだわる必要はない。伸び伸びと暮らし、食べる、それが本当の健康」と自信あふれる表情で語る言葉に力をこめる。

(編集委員・戸塚忠良/2018年3月20日号掲載)

■勝った人が一番!

佐々木さんは高校入学当初、柔道を志して部活を見学したが、そこで半生を左右する出会いを経験する。72年のミュンヘン五輪日本代表で、当時は古座高レスリング部を指導していた谷公市さんにレスリング部への入部を勧められたのである。

「君の体重は?」「48㌔です」「その体でいくら稽古しても体の大きい相手に勝つのは難しい。レスリングは体重別だからそのままでも戦える」―そんな会話があって、佐々木さんの胸に「県チャンピオンくらいにはなれるかも…」という思いが湧いた。

厳しい練習に耐え2年後の1982年、48㎏級県チャンピオンの座に就いた。「いちばん強い者が勝つのではなく、勝った者が一番なんだと思った。その思いは今でも自分の人生観になっています」

 

■サンボとの出会い

専修大学に進むと馳浩さん(元文部科学大臣)の薫陶を受ける。「馳先輩は学生時代から自分の夢を持って卒業後に一つ一つ実現し、国会議員になるという大目標を達成した姿に頭が下がります」と、強く感化された先輩をたたえる。

3年生の頃、日本国内に「ソ連のレスリングが強いのはサンボがあるからだ」という声が高まり、佐々木さんも日本にサンボを伝えたビクトル古賀氏にこの格闘技を習い始めた。

全国大会や国際大会に出場するうち手応えをつかみ、「世界一になろう」と決意。そのための資金獲得に向け、相模原市内で急成長していたブックオフに着目した。「役員会で世界一になるまでの計画と広告効果をプレゼンして認めてもらい、スポンサー契約を結びました」。

この前後、減量に苦しみ、「世間で行われているダイエット法は全然違う」と感じ、「ダイエット革命」という目標も立てた。

 

■世界チャンプに

サンボの世界大会で上位成績を重ね2001年、世界の強豪が参加するブルガリア選手権で準優勝したのに続き、米ニューメキシコ州の世界大会52㌔級で見事優勝、念願の金メダルを獲得した。強い達成感があったことは言うまでもない。

世界チャンプになった佐々木さんに新たな転機が待ち受けていた。「金メダルを胸に帰国したその日に、新聞で相模原ビジネスコンテストの記事を目にした。これに応募しようと思い立った」という。

そしてダイエット革命をめざす体脂肪コントロールのビジネスモデルを提案し、青年アントレプレナー奨励賞を獲得した。翌年にはブックオフ社からFATOFF(ファットオフ)のロゴマークと商標登録をプレゼントされるという喜びを味わった。

 

■ファットオフ

会社設立、教室開設、セミナー開催などの活動を展開して反響を呼ぶ中、04年に活動のターゲットを大転回。

「一流の商品とサービスを、一流のお客様に提供する」というコンセプトのもと、経営者、アーティスト、スペシャリストらの自宅に出張してレッスンする形にした。現在も続けているこの方針を佐々木さんは「ゲリラ戦略路線です」と説明する。

ファットオフの理念は「基礎代謝の循環機能を上げ、自分の体に合った適性体脂肪を目指し、自力で体質と体系を安定させる」というもの。一人ひとりに合ったやり方で指導する。サプリメントや器具は使わない。

会員には大企業の経営者や弁護士、超有名タレントなどの名が並び、家族ぐるみの付き合いに発展した人もいる。

「一週間に一度のレッスンは、会員が心を解放する時間にもなっています」と話すとおり、その信頼性の高さは15年間の営業中、定着率が8割という数字が示している。口コミで評判が広がり希望が増えつつあるグループレッスンにも応じている。

このほか、トレーナー養成のためメールを通じた指導も行っている。「今後はこのメールナビに力を入れ、一人ひとりが自律的な経営者になるという、アメーバ経営を目指します」と話す。

事業に集中する日々だが、何と言ってもサンボの元世界チャンプ。今でもコーチにと声がかかることもあるが、すべて断っている。その理由を尋ねると、「サンボは完全卒業しました」と歯切れよく答え、明るく人懐こい笑い声を上げた。

 

 

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