寺崎雄介氏、県議3期変わらぬ情熱/立憲民主党に参加、福祉・雇用・平和に重点


市ダンス協会顧問も務める

   市ダンス協会顧問も務める



21年前の1997年、相模原市議会の補欠選挙に立候補し、市議選史上最年少の25歳で当選した寺崎雄介さん。2007年からは県議会へと活動の場を変え47歳の今、県会第2会派である立憲民主党・民権クラブ県議団(17人)の団長を務めている。5月1日のメーデーには相模原地域連合主催の地域メーデーに参加し、非正規労働者の正規雇用などを訴えた。街頭に立ち、地元を歩いて市民の声に耳を傾けることも怠っていない。充実した日々を送る寺崎さんに県議としての信条を聞いた。

(編集委員・戸塚忠良/2018年5月10日号掲載)

 

■秘書を経験

寺崎さんは、よこやま幼稚園、上溝小、明大付属中野八王子中学高校を経て、明大政治経済学部へ進学。雄弁部に入って弁論活動、セミナー、勉強会などで充実した学生生活を送った。

卒業後しばらくして、人づてに衆院議員の秘書の仕事を紹介され、調布市、狛江市で政治活動に従事した。「いろいろな人と接し、後援会づくりにも取り組むなど楽しかった」と回想する。

 

■市議から県議へ

秘書生活は2年あまり続いたが、25歳のとき転機が訪れる。相模原市議の補選で前議員の陣営に近い人材として白羽の矢が立ったのである。告示のわずか2カ月ほど前だった。

政治改革、行政改革を前面に押し出した公約と議会に清新の風を吹き込む若さが支援者の輪を広げ、見事初陣を飾った。議会では若さの勢いそのままに強い口調で改革を訴えた。

「選挙運動中、ポスターで自分の顔を見るのは少し妙な感じでした。議会でいちばん強く感じたのは、政策よりも市役所や議員との人間関係が大事な世界だということでした」と当時を振り返る。

99年には2期目の当選を果たし、2003年の統一地方選を迎える。

このとき「政治家としてもっと力を付け、より大きなことをしたい」という思いに駆られて県議選に出馬した。市議会での実績に加え民主党公認の看板もあり、「自信がありました」と苦笑交じりに回想するが、結果は惜敗。

「支持してくれた人たちに申し訳ない。地に足を着けた活動が足りなかったのではないか」と自省し、浪人生活の中で再起を目指して次に向けた地道な活動に汗を流した。後援会を立ち上げ、懇親バス旅行を始めたのもこの時期だった。

捲土重来を期して臨んだ07年の県議選では、支持者の熱い期待に応えて初当選。さらに11年に再選、15年に3選を果たして現在に至っている。県会内では現在、厚生常任委員会に所属している。

 

■立憲民主党へ

今年3月、民進党から立憲民主党に鞍替えした。「立憲民主党が立党したとき、自分の考えに一番近い政党だなと感じました。平和と憲法9条をしっかり守ることは大切だと考えています」というのが理由だ。

「ただ、県会議員としての日々の行動に変化はありません。支持者や街の人たちから『何党でもいいから、とにかく県民のためにしっかり働いてくれ』という声を多くいただき、励みにしています。日頃の活動の中で生活に困っているという相談が多いことに愕然とすることもあります。税金の使い道、使い方をもっと工夫して、生活に困る人をなくしたいと、心底思います」

 

■福祉・雇用・平和

今、政策上の大目標として掲げているのは「福祉・雇用・平和」。ポスターには「変わらぬ決意!」という個人的な信条も添えている。

具体的には「全国一の福祉立県を目指します」として、「福祉・医療・子育て支援の充実」「定員削減による県議会の自己改革」「弱い立場の人と勤労者を守る政策」「地震災害対策」「対話による国際協調」を掲げ、国政については「“強い政治”から“優しい政治”への転換を」と訴えている。

街頭活動やミニ集会、ネットを通じてこれらの政策を主張するのと並行して、県立やまゆり園の再生、介護職員の待遇改善と人材確保などの実現などに力を注ぐ。相模原の課題に即した活動として相模総合補給廠跡地利用の推進のほか、介護職員の不足と近隣市町からの患者の受診が多いといった市特有の医療課題の解決を目指す活動にも取り組んでいる。

地元では消防団中央方面隊、相模原青年会議所シニアクラブ、NPOさがみはら市民会議などで活動している。趣味はお酒と旅。

県議として重みを増している寺崎さん。「県という存在自体が限界に来ています。そのことを県が自覚して施策を整理し、県民が本当に必要とする施策に力を入れて取り組むべきです」と変わらぬ持論を強調し、自身の今後については「やりたいことが山ほどあります」と、柔和ながら強い意欲のにじむ表情で語る。

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