5月に創立40周年を祝った大和中ロータリークラブ会長の小栁(こやなぎ)智裕さんは、保険会社エフビーブレイン(大和市中央林間)の代表取締役。車のセールスマンから保険業界に転身し、40歳で独立。顧客ゼロから15年あまりで取引先約250社という実績を築き上げた。ビジネスにも社会奉仕にも積極的な気鋭の経営者の足跡にはいくつかの転機があった。記念式典を終え、「一人ではできないこともみんなで力を合わせればできることをロータリーで学びました」と笑顔で話す小栁さんの半生を追った。
(編集委員・戸塚忠良/2018年6月10日号掲載)
■始点はセールス
どちらかと言えば内向的で人と話すのが苦手だったという小栁さんは大学時代、料理の道で生きようと考えていた。ところが1981年、友達に誘われて東京トヨペットの会社説明会に参加し、「面白そうな会社だなと感じ、自分を変えるきっかけにできるかも知れない」と考え入社した。
だが、自動車の運転免許を持っていなかったため、半年間は歩いてセールスするしかなかった。主に歩いたのは世田谷区の住宅街。「商店街の人たちと顔を合わせて話をするうち、よしガンバローという気持ちがどんどん強くなりました」
■サプライズ
努力が実を結び入社数年で年間100台以上を売って全国のセールスランキングの上位に進出。27、28歳の2年間は続けて優秀セールス表彰を獲得した。
「このまま会社に勤めよう」と考えていたのは当然だが、後輩と入った居酒屋で転機が訪れる。
会話を聞いていた見知らぬ客が、頃合いを見計らって「小栁さん、ウチへ来てくれませんか」と声を掛けて来たのである。聞けば、その人は大手保険会社の人事担当者。「会社内部の業務体制の改善などに腕を振るってくれないか」いう誘いだった。
同じ店で何度か熱心なヘッドハンティングの話を聞くうち、気持ちが動き90年、オリックス生命保険会社に転職した。
■保険業
新天地では本社法人代理店営業部、横浜支社開設準備担当を経て、本社事務企画室に配属され社内の業務改善などの仕事に全力を傾けた。
上司の本社常務のもとで文書管理、会議の進め方など一から社内体制を整え、会社の基盤づくりという使命を果たした。
その勤務ぶりが評価されて38歳の若さで横浜支社長に抜擢された。
本社業務から営業の現場に戻れたという思いがあったが、同じ頃に妻が難病にかかっていることがわかり、精神的な苦境に陥った。小栁さんは会社を辞めて独立することを決断。99年、40歳のとき㈲エフピーブレインを立ち上げた。
仕事は外資系保険会社をはじめとする法人向けの保険販売代理業務。最初は自宅を事務所にしていたが3年後、中央林間に今の事務所を構えた。
営業のキャッチフレーズは「お客様の身近なコンサルタントとして、損害保険、生命保険はもちろん、資産運用、ライフプランニングのご相談に応じます」。順調に業績を伸ばし、今では関東一円に取引先を確保している。
「お客様の大半は利益を出している優良企業。社長さんは余裕があるから、『保険はうまく活用すれば得になる』という私の話をしっかり聞いてくれます。長い間の経験から感じるのは、こういう企業の経営者の人柄のよさですね」
■大和中RC
独立開業した頃、誘われて大和中ロータリークラブ(RC)に入会した。「社長さんたちと知り合うのはいいことだし、3年、5年で人間関係を築ければと考えていました。社会奉仕にも多少の関心はありました」と入会の動機を率直に吐露する傍ら、「はじめのうちは優良会員ではありませんでした。仕事優先で、活動にもあまり出ませんでした」と苦笑交じりに回顧する。
だが5年前、幹事を務めることになって気持ちが変わった。「真剣にやろう、例会にも必ず出て、積極的に会員とのコミュニケーションを深めようと思いました」。
そして、クラブの創立40周年にあたる2017~2018年度の会長に選ばれた。会員40人が協力して記念事業に取り組んでほしいとの願いをこめて「みんなが主役、一人ひとりが主役」というテーマを掲げ、記念事業には障害者、外国籍の人、高齢者などを対象にした多彩な催しを盛り込んだ。
サブテーマは「脚下照顧」。自分の足元を照らして、よくかえるみることを意味する。
これら二つのテーマからは、自分の営業力と決断力で道を開いてきた小栁さんの自律の心とクラブ愛、それに社会貢献への意欲があざやかに浮かび上がる。