20歳の女性理容師の夢と闘いを描いて読者の共感の輪を広げている上野歩氏の小説『キリの理容室』(講談社刊)。5月に刊行され、試行錯誤を重ねながら成長していく主人公・神野キリの心の内と、多彩な人々とのふれあいを軽快なタッチで描いて読む人を飽きさせない。理容技術と経営も現実に即して叙述しており、プロの理容師からも称賛されているという。巻末には作者が参考にした情報源が紹介されているが、その最初に挙げられているのが池田弘城さん(42)。JR橋本駅近くで2店舗を経営する、創意いっぱいの理容師だ。
(編集委員・戸塚忠良/2018年6月20日号掲載)
■理容の道
池田さんは1975年に町田市で生まれた。母親が橋本で理容店を営んでいたため、進路に迷いはなく、高校卒業後は理容の専門学校に進んだ。「学校は1日も休みませんでした。月〜金曜日は学校、夜は火曜日以外は母の店でサロンワークという毎日でした」と振り返る。
卒業してわずか1年後に母親に資金を出してもらい、友人と二人で東橋本に店を開いた。
「小さい頃から負けん気が強く、技術にも自信はありました。あるお客さんに『パーマはできるか』と聞かれて、それまでやったことがありませんでしたが、『できます』と答えて、かなり苦労してカールした思い出があります。ほかの人がやっていないことをやろうという気持ちも強いですね」と苦笑する。
■橋本駅に2店
2000年3月、母の店と自分の店を統合する形で橋本駅北口のイオンモールに理容店「ヘアーサロン スカイ」を開業。カット、シェービング、シャンプーをセットで提供するだけでなく、男性のエステ意欲に応えるため、シェービングメニューに、保湿効果の高い施術を加えるなど目新しいコースを設け、今に至るまで好評を得ている。
その後、通信教育で美容師の免許を取った。04年4月には駅南口に美容室「スカイ アズール」を開いた。「お客様に心地よい時間を過ごしていただくため、落ち着いた雰囲気のスペースにして、雑誌や漫画を豊富にそろえています。もちろん、髪のことはていねいにカウンセリングを行ったうえで、こだわりの技術と薬剤で安心していただけるサービスを提供しています」という。
■『キリの美容室』
15年、新製品や技術、新サービスを考案、開発した県内の元気な中小企業に贈られる「かながわ産業Navi大賞」の奨励賞を受賞した。このとき、毎年受賞企業の紹介記事を書いている上野歩氏と知り合った。
理容業に新生面を開こうと努力している池田さんに強い関心をもった上野さんは、池田さんをはじめ数多くの関係者や機関に取材して、若い女性理容師を主人公にした中編小説を著した。
上野さんは「池田さんのアドバイスが無ければこの作品は出来なかった。なかでも、美容師はアイドル、理容師は演歌歌手という言葉が強く印象に残っている。理容師は長い年月、お客さんと付き合える仕事であることを言い表したのだと思う」と、思い出を語る上野さん。
さらに、「理容は衰退産業と言われるが、池田さんのような人が活躍するかぎり、日本の床屋さんは決してなくならないと思う」と力をこめる。
作品の原稿を見せられた池田さんは、「技術面でも経営面でも驚くほど正確に書けている。小説としてもとても面白い。人気店を目指して試行錯誤するキリの闘いが目に浮かび、私自身も何かと闘っていることに改めて気づかされた」と感想を話す。
■新たな挑戦
池田さんが経営する橋本駅南北の2店はいずれもモダンでシックな内装で、清潔感あふれる癒しの雰囲気に満ちている。セット面はそれぞれ9面。スタッフは合わせて17人。池田さんは今年の秋、南口の「スカイアズール」を改装して、理容と美容を併設したヘアーサロンに改装する予定だという。
「理容師の最大の武器はカミソリが使えること。今、女性のシェービング需要が増えています。男性にも女性にも気軽に入ってもらえるサロンにすることは、これからの時代の流れに合っていると思います」
その一方、「橋本の人たちとの気心の知れた付き合いをいつまでも続けたい」と笑顔をのぞかせる。
小説の中でキリが夢みるのは、「真ん中に広いウエイティングルームをつくり、左右にそれぞれ男性と女性の専用サロンをつくるのだ。カットの順番を待つだけではない。終わったあともゆったりと寛いでもらっていい。夫婦や恋人同士で訪れてみたくなる理容店」。
池田さんの新しい店舗はキリの夢と重なるヘアーサロンになるはずだ。