長友克洋氏、「責任世代の決意」掲げて/地域主権の実現目指す


「手作りの必勝ダルマは宝物」

「手作りの必勝ダルマは宝物」



相模原市緑区選出の県議、長友克洋(よしひろ)さん(47)は若い頃から藤井裕久氏(当時・衆院議員)の公設秘書を務め、28歳のときに相模原市議会選挙に立候補。若さいっぱいの熱意が有権者に伝わり、3位当選で初陣を飾った。市議を2期務めた後、県議に転進し現在3期目を務めている。国民民主党に所属し、県政改革に情熱を注ぐ長友さんは、「議員という職責を続けているのは、ふるさと相模原への思いと仲間の支援があるからこそ」と力をこめる。

(編集委員・戸塚忠良/2018年7月10日号掲載)

■藤井氏秘書に

1970年12月、緑区橋本に生まれた長友さん。父親がキックボクシングのジムを経営していたので、格闘技は常に身近にあった。「格闘技の世界では、逃げるともっとやっつけられることに気づきました。その経験から、強い相手を前にしたときや辛いことに出会ったとき、逃げてはいけないという自分なりの教訓を得たように思います」と語る。

大沢小、大沢中、弥栄西高を経て、法政大学に進学。「ペレストロイカやリクルート事件で国内外が大きく揺れていた時期で、『日本はこれからどうなるのだろうか』と考えるようになりました」。

大学入学と同時に藤井裕久事務所に入ったが、「世界の動きを知りたいという知的な関心より、世間とはどんなものかを肌で感じたいという好奇心の方が強かったですね」と動機を明かす。

そして、「秘書とはいっても要するに丁稚奉公の小僧」と加える通り、多忙を極める大物衆院議員に直接教えを受ける機会はほとんどなかったが、街頭演説などの場で師の政策や考えを知り、日本の将来展望や政治家の心構えなどを肌で学んだ。

■市議2期

その一方、政治に関連する幅広い分野の人たちと接し、社会の実態を知れば知るほど、既成の制度や組織に対する反発心が募っていった。

「いちばん強く感じたのは、特定の利益を求めて政治を利用しようとする人たちへの反発心でした。若さゆえの正義感と言われるかも知れませんが、政治はそうであってはならないという思いは今でも心の底にあります」という。

99年、まず自分の足元から政治を変革しようと相模原市議選に出馬して当選。当選後、議員活動の重要な一環として情報発信に力を入れ、だれにも開かれた政策研究の集いを毎月一回開催した。

テーマは市町村合併、市の財政状況、政令都市への移行、水、禁煙条例など、当時の重要課題や今につながる施策だった。

■県議3期目

市議を2期8年務めた後、2007年民進党から県議選に出馬した。「県の財政状況が極めて悪く、財政再建団体に転落することが懸念されていました。その状況を変え、県政を改革するために自分ができることをしなければと考えました」。

具体的には次世代へのツケを減らすための県債残高の減少と、硬直化した歳出の見直しなどを訴えた。

その後も県債残高は増え続けたが、ようやくここ3年減少傾向にある。それでも「まだまだ」と、県財政の見直しを求める考えに変わりはない。

それと同時に、「県議になって初めて分かったことも多い」という。

例えば海と山のつながり。言うまでもなく、相模ダムから流れる水と土砂は相模川を通じて湘南の海に流れ込む。「海と流域環境を良好に保つには、水源から下流まで一体的な施策が不可欠で、県全体を視野に収めた俯瞰が必要だと思い知りました。県には専門知識を持つ優れた人材が豊かなことにも驚きを感じました」と語る。

今後の県政については、「介護・医療はいっそう大きな負担が求められる」として、「財政改革を進め、経済のエンジンを回す施策展開を推進しつつ、健康寿命を延ばす施策展開を図るべき」と展望する。

■地域主権へ

もちろん、議員として第一歩を刻んだとき以来目標にしている「地方分権・地域主権」の旗印は変えてはいない。

「高齢者福祉、学校教育、子育て支援、鳥獣被害対策、安全で安心な地域社会の実現など、徹底的に現場で問題を解決することの重要さは、ますます高まっていくと考えています」

20年にわたる政治経験を今後の活動に生かそうと意欲を燃やす長友さん。県政改革に全力を傾けるのはもちろんだが、常に地元相模原・津久井地域の課題に対しても取り組んでいる。

橋本駅近くの事務所にはちょっといびつな5つのダルマが置かれている。初当選の市議選以来、長友さんの理念と行動に共鳴する仲間たちが、激励の気持ちをこめて手作りしてくれた縁起物だ。

「仲間の思いを裏切ることは絶対にできません」と口元を引き締める顔に、自らの政治信条として掲げる『責任世代の決意』の色がにじむ。

 

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