「いつまでも社会と関わり合っていたい、生産人口の一人でいたい」。ボーノ相模大野1階のヘアーソロンARTの経営者、石井とし子さん(77)は元気あふれる声でこう語る。29歳のとき創業し、現在は入居店舗などで構成するボーノ会会長の要職も務めている。その一方、60歳をすぎてから慶応大学文学部、立教大学大学院に学び、国文学なかでも『今昔物語集』に傾倒し、今年6月には4冊目の著書を刊行した。喜寿を迎えてなお夢に向かって未来を見つめる石井さんの足跡をたどった。
(編集委員・戸塚忠良/2018年8月20日号掲載)■美容師への道
石井さんは1941年兵庫県の生まれ。生家は兼業農家で、「やんちゃな女の子でした」と笑う。
高校卒業後は会社勤めをしたが、交通事故で重傷を負ったのをきっかけに、小さい頃から絵が得意だったこともあって美術大学の受験に挑戦。しかし、あえなく不合格となり、次の道を求めて東京へ行こうと思い立った。
東京では住み込みのお手伝いさんなどをして生活を送るうち、手に職を付けようと美容師の資格を取るため専門学校に通った。
ちょうどその頃、ある女性誌が募集していた「私の明日を考える」と題する懸賞論文に応募した。「2位か3位に入りました」と思い出をたどる石井さん。立派な成績だが、驚くべきはその賞品で、北海道の原野5000坪だった。この土地が後に独立開業する際、役に立つことになる。
■相模大野で創業
25歳のとき美容師の資格を取り、住み込みの美容師生活を経験した。その後、公団住宅に申し込んだところ高倍率にかかわらず運よく当選。町田市の山崎団地に住むことになった。これが相模原とのつながりの第一歩となった。
すでに結婚しており、美容院勤めをやめて、『三食昼寝付き』の毎日を送ることになった。「でも、そんな生活がいやになって、社会とつながりを持ちたいと強く願うようになりました」。
この思いをテコに29歳のとき相模大野でエンゼル美容室を開業した。貯金をはたき、親からの借金と5000坪の原野を担保にした借入金が原資だった。
「初めて店舗を見に来たとき、相模大野駅の木造の階段がギシギシと音をたてていたことと、紹介してくれた人に、ここはもうすぐ大きな街になりますよと言われたことを思い出します」という。
■ボーノ会会長