山田工業(大和市柳橋)の山田道則社長が、腕一つで板金の世界に飛び込んで半世紀以上。72歳を迎えた今でも、モノづくりの情熱は衰えず、現場にこだわる。そんな山田社長を支えているのは「100歳を過ぎても働きたい」という夢でもある。手を汚し、汗を流す。忘れられつつある、〝製造業の原点〟ともいえる心を、山田社長は持ち続けている。(松山祐介)
■中学卒業前に
山田社長は横須賀市走水の出身。小さな漁村だ。父親は漁師。小学校3年生から手伝いで船に乗っていたという。
ただ、漁場は狭い。船も手漕で沖には出られない。1日の稼ぎにも限界があった。漁師を継ぐのは村でもごく少数。安定した収入を夢見て、浦賀のドッグや軍港で工員として働くのが、同級生たちの共通認識だった。
母親は米軍の車にひかれて亡くなった。