相模線走行のSL、東武の観光路線で復活


c11325 wb 戦後間もない1946年4月から67年3月まで、相模線(旧運輸通信省、旧日本国有鉄道)などを走っていた蒸気機関車(SL)「C11形325号機」が昨年12月26日から栃木県内の私鉄路線で復活した。東武鉄道の観光列車「SL大樹(たいじゅ)」として、下今市駅―鬼怒川温泉駅間の上下線で運行。東照宮や華厳の滝で有名な「日光」や温泉地「鬼怒川」の活性化が目的で、年末年始の観光客の誘致に期待されている。

325号機は日本車輌製造本店で製造され、46年3月に完成。茅ケ崎市の旧国鉄茅ケ崎運転区(現JR東日本茅ケ崎運輸区)に配置され、相模線、南武線で砂利などを運搬する車両などの牽引に使用された。381両製造されたC11形で、現存する5両のうちの1両。

JR新橋駅前に展示されていることで有名なC11形は、全長1万2650㍉、全高3900㍉、軌間(レールの間隔)1067㍉。SLの中では小型で運転線区を選ばず扱いやすいことや、維持費が比較的低いことで、動作・運用が可能な状態で保存されている車両がもっとも多いという。

後期製造グループに含まれ、資材と工数を節約した「戦時設計・工程」による工作の大幅な簡素化が図られ、角型の砂箱(車輪の滑り止め砂をまく装置)と蒸気ドーム(車体上部の突起。ボイラーで発生した蒸気を集める場所)を装着。竣工後しばらくはデフレクター(除煙板)も木製仕様だったという。現在は、1次形にならって特徴的であった角型ドームを通常の丸型ドームに交換されている。

日本における砂利の利用はコンクリートの骨材として23年の関東大震災に始まり、戦後復興期や高度成長期前の建設ラッシュで最盛期を迎えた。一方で、砂利の採掘は水質汚染のほか、河川護岸の浮き上がりや橋梁基礎の洗堀などインフラへの影響もあって徐々に規制が強まっていった。

64年に相模川で砂利採取が禁止になると貨物需要の低迷は経営を圧迫し、相模線は関東の国鉄で第3位の赤字路線まで転落した。50年代から沿線の都市化と人口の増大とともに利用客が急増した南武線に対し、沿線人口は相模原で約20万人、厚木で8・9万人と少なく、旅客需要が見込めなかった。

325号機は茅ケ崎機関区の停車場(鉄道駅)や車両基地の構内で鉄道車両を移動させる作業に使われていたが、茅ケ崎運輸区で66年3月に蒸気機関車の運転が廃止となった。東北の機関区に転属され、67年から山形県や新潟県の路線で使用されていた。

その後、新潟県内の中学校での静態保存を経て、97年に真岡鐵(てつ)道事業母体の真岡市(栃木県)が取得し動態復元工事を実施。真岡市から借り受ける形で真岡鐵道が運行したほか、JR東日本との契約で管内での出張運転も行った。多額の維持費に対して利用客が減少し、鉄道を運営する第三セクターが売却準備のために所有権を地域の行政事務組合に移譲していた。

東武鉄道ではSL大樹としてC11形1両が使われてきた。蒸気機関車は鉄道車両としては非常に高齢で、過度な使用は禁物。運転日は週末や連休などに限定せざるを得なく、検査日にはディーゼル機関車が牽引を代行することもあった。

19年3月に入札が行われ、東武鉄道が約1億2千万円で落札。同年12月に真岡鐵道の蒸気機関車の整備を受託していたJR東日本大宮総合車両センターへ入場し、1年間の検査が行われていた。

相模線でSLが走る姿を見てきた80代の男性は「C11形は身近なSLだった。リニアや今の電車に比べれば遅いかもしれないが、砂利を積んだ貨車を力強く姿は頼りがいがあり、当時の日本の写し鏡のようだった」と振り返る。一方で、日光市出身で相模原市在住の男性は「時々利用する相模線を走っていたSLが、遠く故郷の地を走るのは不思議な縁を感じる」と話していた。

20年12月2日に埼玉県久喜市の南栗橋車両管区で、SLのボイラーに点火する「火入れ式」が行われた。再び心臓部に火を灯した325号機は「大樹」として、温泉街に向かう観光客を乗せた客車を力強く牽引している。

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