赤丸急上昇中の若手人気歌手が意外な苦労人であったりするように、新進気鋭のベンチャー企業に紆余曲折の過去があることも珍しくはない。
超音波洗浄機によるバリ取り技術で注目を集めるブルー・スターR&D(相模原市中央区横山台1-31-1、柴野美雪社長)は設立3年目だが、ここに至るまでの道のりは、栄光と挫折が入り混ざった長く複雑なものである。
現在、同社の技術顧問を務める柴野佳英氏こそは、その道程の中心的存在として、同社のバックボーンを築き上げてきた人物。大学で電気工学を専攻した同氏が畑違いの洗浄分野に足を踏み入れたのは、新卒で就職した企業を辞した後、金属主体の工業用洗浄機メーカーに再就職したのがきっかけだ。
時代は1970年代半ば。確たる理論の裏付けがないまま、超音波洗浄技術が方々で実用化される中、物理化学、科学、環境など工学周辺の多様な分野に関わるこの技術に魅了された柴野氏は、入社まもなくその開発研究に没頭することになった。
「技術者として自分がやりたい要素が全て含まれている上に、研究開発でも市場でもまだ黎明期。天職に巡りあえたと思った」と同氏は振り返る。
3年後には外資系シリコンウェハ研磨機メーカーに転職し、洗浄機事業部を社内に起ち上げた。ところが技術者として社員の意識改革を図ろうとした行動がトップの逆鱗に触れ、営業に左遷。それでもすぐに辞職せず計4年ほど勤めたのは、それまで研究開発一辺倒で利益など、ビジネスの本質に背を向けていた同氏にとって、営業が大きな糧になる仕事だったからだ。
こうして技術と営業両面のノウハウを蓄え、1984年に晴れて超音波洗浄機メーカーを独立開業。独自の理論をもとに既存の洗浄機能に疑問を投げ掛ける積極的な営業を展開して業績を伸ばした。
ところが80年代末、超音波洗浄の要の一つだったフロン溶剤がオゾン層破壊物質として規制され、業界全体がリスタートを余儀なくされる。そんな中で同氏は90年代初頭、いち早く水による洗浄方式を考案。キャビテーション(液体の流れの中に生じる圧力差により泡の発生と消滅が起きる現象)をコントロールすることで、水でも洗浄効果を高めることができるという一貫した理論に基づき、再び業界をリードする。
しかし今度はバブル崩壊に襲われる。それでも、洗浄だけでなく、新たにバリ取り技術として超音波を実用化するなど付加価値を高め、再復活を目指していたが、外部からの圧力で社長の座を追われた。また、開発部門として起ち上げていた組織も、国間ビジネスの綾で閉鎖に追い込まれた。
そんな複雑な過去を背負ってのブルー・スターR&Dなのだが、超音波技術に対する柴野氏の情熱は全く衰えていない。それは、世に翻弄されながらも、氏には確信に満ちた一貫した理論があるからだろう。