相模原市・橋本、「七夕」1年遅れの70周年記念事業/戦後復興期の商店街振興策が起源


橋本七夕 橋本地域の夏の風物詩、第70回橋本七夕まつり(実行委員会主催)が1、2日の2日間、相模原市緑区の杜のホールで開かれた。新型コロナウイルスの感染拡大のために昨年実施予定だった70回記念事業が1年遅れ、関係者と来賓のみの記念式典、入場人数を限定した感謝祭の2部形式で行った。【2022年8月10日号掲載】

橋本商店街の加盟店約50店が母体となり、戦後復興期の1952(昭和27)年に地域の経済を盛り上げようと始まった。平塚の七夕と重なることに加え、梅雨時期と重なり紙製の七夕飾りが濡れてしまうため、旧暦の七夕に合わせて8月上旬に行われるようになった。

戦後間もないとは言え、個店が活気ある時代。個店ごとに大きな竹飾りを作る伝統的な七夕だった。近代化で橋本駅北口にも高層ビルが多くなり、強いビル風で飾りが飛ばないようにと、徐々に大道芸やダンス、浴衣ショーなど現代的な祭りへと変わっていった。

実行委員会の関係者は「現代風なことを取り入れたので、若者の感覚に合った祭りになったのでは」としている。近隣の小中学生や高校生なども飾りの手伝い、祭り当日にも鼓笛隊やダンスなどで参加する。

70年代以降、観光客は30万人を超え、最盛期には50万人近い人が訪れるようになった。現在は市内「夏の4大まつり」の一つとして定着しており、「かながわのまつり50選」にも選ばれている。

橋本駅第二交差点から橋本仲町交差点までの市道橋本駅北口線を「七夕通り」と呼び、例年はまつりのメインストリートになっている。91~2002年の再開発事業では、七夕飾りを設置しやすいように、歩道には支柱や竹を差し込む穴が随所に設けられた。

20、21年は新型コロナウイルス感染症の影響で中止。収束の見通しはないが「伝統ある祭りを後世に継承していくため」と、感染への対策を行った上で実施に踏み切った。2日間の入場者数は856人(感謝祭は676人)。

式典の冒頭では、例年の七夕まつり会場でも踊られる「相模原音頭」や、和太鼓の演奏が披露された。07年から16年実行委員長(15代)を務める江成藤吉郎さんは「祭りは地元の人などの協力がないと成り立たない。自分が関われることを誇りに思う」とあいさつした。

式典の最後には、功労者への感謝状などの贈呈も行われ、6代実行委員長(1974~85)の笹野照雄さんらが受賞した。

市立旭小学校の児童が制作した短冊には「今年は七夕まつりが外でできますように」「コロナなくなれ」といった切実な願いが書かれていた。

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