相模原市中央区矢部の駅から近い住宅街に、ひっそりと佇むスペイン料理店がある。2月14日で創業32年を迎えたスペイン料理店「SOLEADO(ソレアド)」は、現地で修行を積んだ2代目の守屋勝さん(48)が同店の伝統の味を守りつつ、「本場に恥じない味や雰囲気を感じてもらいたい」と奮闘している(取材2月上旬)。【2023年3月10日号掲載、聞き手=芹澤康成】
□父の店を継ぐ想い
父・茂さんが同店を開業したのは、守屋さんが高校生の頃。「将来継ぐことになるのだろう」という覚悟もあり、ファミリーレストランなど飲食店でのアルバイトに励んだ。ただ、デザインの仕事にも興味があり、高校卒業後はデザイン専門学校へ進学。デザイン事務所に就職したが、土日など休日で店が忙しい日には手伝っていた。
「家業を手伝ううちに、料理が楽しいと思うようになった。父が頑張る姿を見ていると、本格的に店を継ぎたいと決意した」と23歳で家業に入った。スペイン料理に関わる中で、家族旅行で本場の料理を味わう機会があった。ソレアドの料理との違いを感じ、「いつかスペインで修行したい」という気持ちを持つようになる。
自動車雑誌に載せる広告デザインなどを手掛けた際には「クライアントと打ち合せを重ね、喜んでもらえるようなデザインができた時の達成感、そのおかげで売上に貢献できたときには大変やりがいを感じた」という。パソコンを買い、独学で写真編集やデザインソフトの使い方を覚えて、店の印刷物の制作も行うように。「デザインも続けたいが、料理に対してもモノ作りとしての楽しみとお客さまに喜んでもらえる喜びのようなものを感じていたので決心がついた」と話す。
□新宿名店が架け橋に
「無給で良いから料理を教えてほしい」と、マドリード市内の3店舗で修行を重ねた。サラリーマン時代の貯蓄を崩しながらの生活。そんな守屋さんに「部屋の植物に水やりをしてくれるなら」と無償同然で住居を貸してくれたのは、著名な文化人も愛した老舗居酒屋「どん底」の創業者・矢野智さんだった。
スペイン語はデザイン事務所に勤める傍ら桜美林大学の社会人向け講座に通って学んだが、「覚えたのはあいさつや数字といった基本的な言葉のみ」と自嘲する。現地では言われたことをカタカナでメモを取り、後で似たような音の言葉を辞書で調べる。調べた言葉は次の日に使ってみて、意味が通じるか試すのを繰り返した。
1年半が経ち、スペインの穏やかな気候と陽気な人々に魅了され、帰国延長のためビザ取得を考えるように。スペインでも日本食ブームが起こっていたこともあり、マラガの日本料理店「セナール」の立ち上げに携わる。寿司のチーフとして「つけ場」に3年間立ち続けると夢が膨らみ、スペインでの独立を考えるように。一方で帰国して家業を継ぐという選択肢もなかったわけではない。
飲食店経営のウリセス・メネゾさんと出会い、セナールからの盟友・矢ノ目欽一さんとともに「タステム」を開業した。サッカースタジアムに近く、バレンシアCFのダビド・ビジャやダビド・シルバら選手らが通う名店に成長。現地紙「エル・ムンロ」の日本食十選になるなど、バレンシア市内では数少ない本格派日本食レストランとして、日本食ブームの火付け役となった。
□悲しむ家族の支えに
日本への帰国を決意させたのは、2019年に長妹・岡本樹里さんの急逝で家族が悲しむ中、翌年20年から新型コロナウイルス感染拡大で自粛が続き売上が大きく落ち込んだことだった。悲願だった新店舗オープンを待たずに決断できたのは、「店を潰したくない」との思いだったと明かす。
スペインに未練がないわけではない。ウリセスさん、矢ノ目さんとともに開店準備を進めてきた寿司メインの創作日本料理店「Kaido(海道)」(バレンシア)のオープンに立ち会えなかったからだ。守屋さんは「22年9月にミシュラン(フランスの権威あるガイドブック)の星を獲得した」と盟友らの活躍を誇らしげに語る。
ソレアドは、日本国内のパエリア(米料理)・コンクールでも受賞歴があり、日本代表としてバレンシアの世界大会にも出場した実績を持つ実力派。「退職後に喫茶店を開きたい」という思いがあった茂さんが脱サラ後、スペインのほかイタリアやロシアなどの各国料理を修行し、わずか一代で築き上げた味だ。
パエリア(パエージャ)は、米の産地であるバレンシアの〝郷土料理〟〝ご当地料理〟のようなもので、日本でも人気のメニュー。現地のレストランでシェフを務める傍ら、世界大会優勝者の店にも修行に通った。
□2国の味を守る取組
現在、同店ではメニューのリニューアルを検討している。「早ければ、創業月の2月下旬にも披露したい」という。先代から受け継がれる味や人気料理を踏襲しつつ、守屋さんが自身の舌で感じてきた思い入れのある料理などを盛り込む。
「日本にある食材を使い日本人の味覚に合いながらも、本場に恥じないスペイン料理を提供したい」と意気込みを語る。
「本場(日本)で日本料理を学んでほしい」とスペインのシェフを相模原に招いている。取材日も、スペインの弟子が開いた店のスタッフ・サンドラさんを受け入れた。本場の味を学ぼうとスペインで修行した守屋さんならではの視点だ。
取材の最後に、人生の「師」について問うと、寿司の師匠・船水さん、慣れないスペインでの生活に手を差し伸べてくれた矢野さん、「戦友」と例える矢ノ目さん、マドリッド修行で最初に師事した店のアントニオさん(守屋さんが「スペインの父」と呼ぶ)らを挙げていき、実父の名を出した。「それぞれからとても大切なことを学び、感謝の気持ちを持ち続けている」と気を引き締める。