理想化研(相模原市南区東林間)は、戸建て住宅やホテルの風呂場などのリフォームを手掛ける。新しい設備に入れかえるのではなく、既存設備を解体せず廃材を出さずに、新品同様に修理するのが特徴。ローコストで環境に優しい施工法として注目を集めている。相模原市で創業してことしで35年。同社のフランチャイズ(FC)は現在、全国126店舗を数える。創業者の小林誠司社長(62)は2019年に風呂職人30年以上の実績の集大成である書籍『理想のお風呂を実現する 浴室リフォームの極意』(幻冬舎)を出版。風呂だけに〝熱い〟事業への思いを小林社長から聞いた。【2024年1月20日号掲載】
■高校時代は応援団長
小林社長は長野県安曇野市出身。父は大手繊維メーカーに勤めており、出生時海外勤務だったので2歳で初めて出会った。父の仕事の関係で転勤が多く、子供時代は富山県や大阪府など転校を繰り返し、高校進学と同時に父の実家である安曇野市へ戻った。「転校ばかりで、学校成績はほぼ下のクラスだった」と振り返る。
高校は地元工業高校の機械科に進学。その頃から機械いじりが好きで、バイクの組み立てなどに熱中。工業高校ならではのセーフティクラブ(安全にバイクを運転する部活動)に所属し、コンテストで全国7位となり、
全国大会オートバイ部門で鈴鹿サーキットを走った経験もある。
一方で、応援団にも所属し団長にまで上り詰める。「不良高校でしたから、たばこ謹慎処分、学級閉鎖なんてこともざら。応援団長として『いじめ撲滅』など学校改革に取り組み、結構硬派だったかもしれない」と語り、現在に続く熱血漢ぶりが垣間見える。
学校改革など大それた行動をしていた一方、「全国の同世代は、どのようなことを考えているのだろう」と素朴な疑問を抱いた。同級生は高校を卒業すると、就職が当然だったが、「総合大学へ行き、全国から集まる同世代と交流し視野を広げたい」と思うようになった。
しかし大学進学は到底難しい学力。数学担当の先生に真剣に相談した結果、その先生の家に下宿することになり猛勉強。受験は1校のみの一発勝負で、東海大学工学部へ進学した。
■労働組合を経て退職
大学卒業後は、大手化学メーカー子会社の半導体製造会社に入社。設計技術者として、図面を書くことが好きで仕事は楽しかった。しかし、上司の出世争いや学閥など組織内の不条理に疑問を抱くようになり、最年少出馬で労働組合の執行部となる。「組合の執行部になれば、雲の上の存在の社長の考えが聞ける」という単純な発想だった。
だが、小林社長の目には「労働条件の権利を主張する組合員でも、日々の仕事は手を抜いているように見えた。権利を主張しながら、労働の義務は果たしていないことに疑問を感じた」という。
社会の常識は受け入れつつも「一度しかない人生、悔いなき人生を送るため」に自問自答。猛反対する上司や家族を説得し、次の就職先を決めずに28歳で会社を退職した。
■5千円の風呂磨き
会社を退職し、仕事のあてもなく路頭に迷っていた時、自宅近くの公園で近所の奥さんから声をかけられ、「うちのお風呂でもきれいに磨いて」と頼まれた。その時、風呂を磨いた代金が5千円。「当時、この5千円は感謝のお金だと思った。奥さんに友人を紹介してもらい、少し収入を得た」。この経験から、風呂に潜む「バスルームの悩み」の潜在市場が多いことに気づき、現在のサービス開発、会社設立のきっかけとなった。
■独自の工法を開発
せっかく風呂をピカピカに磨いても、数カ月で汚れてしまう。知人の紹介でコーティングやワックス剤を試してもうまくいかず、「コーティングには科学の力が必要だ」と考え、研究開発を本格化。試行錯誤を繰り返した結果、水垢を研磨する機能と保護効果を併せ持つフッ素クリーニングとコーティング技術の開発に成功。1989年に28歳で個人事業として創業。「ふろいち」(現おフロのプロ)のサービスを開始した。
■全国へFC展開
さらにお客の悩みに応えるため、セラミックコーティングの技術を新たに開発。この技術の特許申請がきっかけで、大手水回り機器メーカーや大手ハウスメーカーとの取引を開始した。
独自開発の「エール工法」はフッ素樹脂コーティングを掛ける磨きなど、新品を入れ替えるより大幅にローコストで工期も短い。環境保護の点からも、廃材を出さない利点がある。過去20年間で廃棄物削減量は2万室という実績から計算すると約4200㌧にのぼる。
現在は「おフロのプロ」の名称で、北海道から沖縄県までFCは全国126店舗。「同じ志の仲間を増やしたい」との思いで、初期研修はすべて小林社長が自ら行う。「ふろ磨き5千円」の初心が現在も事業の根底に流れている。