おそうじ本舗相模原上溝店 関伸司さん、新聞販売店から異業種に転換/真心サービス変わらない


エアコン、キッチンや水回りなどハウスクリーニングの「おそうじ本舗 相模原上溝店」を運営する葉山クリエイト創業者の関伸司さん(66)は、かつて読売新聞の販売店である「読売センター」を県内に3店舗経営。2015年からは、県内に23の単会を持つ倫理法人会の県会長も2年間務めた経営者。新聞販売店を撤退し、18年におそうじ本舗とフランチャイズ(FC)契約、ハウスクリーニング事業をスタートさせた。新聞販売店から畑違いの事業へ思い切った「業種転換」に踏み切った関さんだが、「お客への徹底した真心サービス」が経営の根底に共通していた。波乱万丈な関さんの半生を聞いた。【2024年2月20日号掲載】

業種転換を踏み切った関さん

業種転換を踏み切った関さん



■入社後に会社整理

関さんは福岡県遠賀郡出身。小学生の時に両親が離婚、その後に父が再婚したが、「新しい母に懐かず、複雑な家庭環境だった。中学で非行に走らなかったのは野球のおかげだった」と振り返る。中学の頃から高身長だった関さんは、ピッチャーを務め野球に没頭する少年時代を過ごした。

高校は地元工業高校の建築科に進学。「建築デザイナーに憧れ建築科を選んだ」という。高校時代は「アルバイトに没頭し、九州などを旅行ばかりしていた」と話す。

高校卒業後は大手総合商社のマンション開発部門の子会社(東京都千代田区)に入社。分譲マンションの内装を担当する会社で、工事部の現場助手を経て現場監督として勤務した。「いろいろな現場を回り、仕事のやりがいはあった」。しかし入社からわずか2年ほどで、親会社の総合商社が子会社を大幅に整理することになり、関さんが勤める会社も対象となった。「19歳で初めて退職金を受け取った人は、なかなかいないのではないか」と笑って話す。

関さんが勤めていた会社は、2つに分社化されることになった。お世話になった上司や先輩も2社に分かれ、関さんは両方から誘われた。一方の会社からは工期10年の大規模工事の現場担当を任すと言われ、当時20歳の関さんは「自分の人生がこの10年で決まってしまうと感じ辞めよう」と決意した。

24歳で多額の借金

独立を目指してお金を貯めようと、朝から深夜までバイトを掛け持ちして働いた。朝は弁当屋、午後は東京都台東区の鶯谷にあったキャバレーのボーイ、深夜はJRの車両基地で、寝台・特急列車の車内清掃。朝と昼の食事は、弁当屋のまかない(余った弁当)で済ませた。「衣食住のうち、食と住にお金を掛けないと、遊ぶ暇もないのでお金は貯まる」と関さん。

「1年間で300万円近く貯めた」という。知人の紹介で無店舗の訪問セールスを行う会社と契約し、個人事業主として独立した。だが、経費だけがかさんでいき、貯金も無くなり廃業、24歳で約500万円の借金を負うことになった。

この会社から独立する知人から、関さんは「うちに来ないか」と誘われた。サラリーマンで借金返済は無理だと一旦は断るが、「なんとか方法を考える」と説得され、創業メンバー7人のうちの1人として入社する。

会社の事業は、当時は珍しかったアパタイト配合の薬用歯磨き粉の販売。提携した大手製薬会社の販路を使い、全国の薬局に置いて貰う仕事だった。

関さんは大阪府に配属され西日本を担当。車1台で問屋や薬局へセールスに飛び回った。ただし毎月の給与はそのまま借金返済に回るような生活だったが、25歳で結婚。26歳で借金を完済した。

会社の業績は順調だったが、資本強化のため出資を受けた会社から閑職に追いやられ、創業メンバーの5人が同時退職。関さんも会社を去ることになった。

■新聞販売との出会い

東京に戻った関さんは「今まで自分の人生を自分で決めていない。何か自分でやりたい」と自問自答していたとき、読売新聞の拡販の求人をみつけた。新聞販売店で独立しようと考え、新聞の拡張員を経て、横須賀市の販売店に30歳で就職。

通常は独立まで10年と言われる中、35歳で2千万円の融資を受け、三浦郡葉山町の新聞販売店の営業権を得て独立。ここで関さんが培ってきたセールス力が発揮される。まずやったのは、店の向こう三軒両隣まで毎朝の掃除。そして、お客への徹底したサービス。「新聞販売店なのに、大掃除の手伝いや草刈りなど何でもやった」と関さん。さらに「葉山スポーツ新聞」を自前で発行、少年野球や地元駅伝大会の記事を掲載し、無料配布するなど地域密着を徹底。販売部数を大きく伸ばした。

その後、茅ヶ崎市と大和市の販売店の営業権を引き継ぎ、県内で3店舗を経営する。しかし徐々に業界不況を受け、関さんは「3店舗だと売り上げの減少幅も大きく、地域密着の経営が崩れてきていた」と語る。

関さんは18年に新聞販売店から撤退。業種転換し、同年におそうじ本舗とFC契約を結んだ。一方で、父の背中をみていた息子の健太さんが独立し、「読売センター上溝・関新聞店」を現在経営している。

エアコン掃除_2
販売店を撤退する際、掃除を依頼したのが、おそうじ本舗だった。関さんは「掃除の需要は無くならない。プロの技術できれいになれば喜んでもらえる」「新聞販売店も掃除の仕事も、真心のサービスは変わらない」と力強く語った。

 

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