日本弁護士連合会(日弁連)の副会長に就任した伊藤信吾氏(60)。県弁護士会相模原支部(同市中央区富士見)から日弁連の副会長就任は初めて。県弁護士会の4支部(川崎・県西・横須賀・相模原)からも18年ぶり2人目となる。伊藤氏は長年にわたり、地域で社会貢献活動を積み重ねていることでも知られており、「自分の中では弁護士業務と地域活動は一つのもの」と語る。日弁連副会長に1日付けで就任後の6、7日に開催された市政施行70周年記念「相模原市民桜まつり」では、市民団体として出展し焼き鳥をやいていた。そんな伊藤氏に日弁連副会長としての抱負や、地域活動への思いを聞いた。【2024年4月20日号掲載】
■父と同じ弁護士の道へ
伊藤氏は1964年東京都生まれ。3歳のとき相模原市へ転入し谷口台小、桐蔭学園中・高校(横浜市青葉区)で学んだ後、早大法学部に進学した。
「大学3年まではのんびりと過ごしていた」という。レコード愛好サークルに入り、アルバイト代を貯めて買ったクラシックやジャズのレコードを数百枚ほど収集し、仲間との情報交換を楽しんだと振り返る。
卒業後の進路を弁護士に決めたのは、父親で弁護士だった平信さんの影響があった。「幼い頃から父親の背中を見ながら、弁護士は人に尊敬され、感謝される職業だという思いが強くなっていたのだと思う」と回想する。
26歳のとき司法試験に合格し、熊本県内での司法修習を経て、横浜市の弁護士事務所に就職。3年間勤めた後、95年に平信さんとともに相模原市で「相模原法律事務所」を開業した。「地域とともに 法の心を育む」を経営理念に掲げ、現在は事務所を法人化し市内に3つの事務所を構えている。
■地域活動のきっかけ
居住地はずっと相模原市だったが、市外の中高で学んだこともあって市内の人脈に乏しく、「経営していけるかどうか不安だった」という。そこで人脈や仲間づくりが必要と考え96年、相模原青年会議所(JC)に入会。翌年には相模原グリーンロータリークラブ(RC)に入会した。
相模原JCで精力的に活動し、2002年に理事長を務めた後、日本青年会議所神奈川ブロック協議会会長も経験。JCでまちづくりや、社会貢献活動を学んでいく中で、まちづくりの主役は「官から民へ」。公共的なサービスの実施や社会的課題の解決を行政だけに委ねるのではなく、市民自身が引き受けなければならないと考えていくようになったという。
■市民会議の設立へ
相模原JC理事長に就任する前年の01年に、仲間とともに「さがみはら市民会議」を設立し、代表を務めることになった。翌02年10月には市民のNPO活動の拠点となっている「さがみはら市民活動サポートセンター」の運営を同市から受託。ボランティア活動や市民活動のネットワークを形成し、各市民活動団体が抱える課題を話し合い、相互に支援できる拠点をつくりたいという思いからだった。
伊藤氏は「環境、福祉、教育などさまざまな団体の意見を調整するのは大変だったが、熱気のあるNPOが多く仲間とともに運営することができた」と語る。同センターは現在、市民活動やNPO・ボランティアなど公益的な活動をしている人たちを支える施設として20年以上、市民活動の拠点となっている。
05年には「市民ファンドゆめの芽」の設立に携わる。市民と企業から寄付を募り、市民活動団体へ資金として提供する活動だ。JCのOBたちが中心になって立ち上げ、伊藤氏は事務局として実務を引き受け、現在は理事を務めている。
相模原グリーンRCでは、2018から19年の会長を務め、「障がい者とともに歩む社会の実現に向けて 前へ!」と題した社会奉仕事業を実施。この事業では、相模原市障害者地域作業所等連絡協議会(障作連)と連携し、多くのメンバーの協力のもとで「さがみはらフェスタ」にブース出展をした。
■弁護士会の活動
こうした八面六臂の地域活動の一方、2008~10年に横浜弁護士会(現・県弁護士会)相模原支部長を務め、19年には県弁護士会の会長を務めた。22年からは相模原市の人事委員会の委員長も務めている。
県会長時は、東日本大風の被害復興支援(法律相談など)の実施。県と「SDGs推進に係る連携と協力に関する協定」を締結したほか、会議のペーパレス化などを推進した。また県会長として「素朴な正義感」を掲げた。「依頼者の意向だけでなく、何が正しいのかを常に念頭に置いて弁護士業務を行うよう学んできた」と伊藤氏。
24年4月の日弁連副会長就任の抱負にも「弁護士としての『素朴な正義感』を忘れずに職務に邁進したい」としている。
副会長の職務は激務で平日はほぼ毎日、東京都千代田区霞が関の弁護士会館に勤務している。各種会議や担当委員会などに出席し業務をこなし、相模原市に戻れるのは週に1回程度。伊藤氏は「毎日が情報の洪水。常に勉強しながら職務に努めている」と話す。こうした中でも週末は地域活動に汗を流す。その根底には「素朴な正義感」が流れている。