アイスリー、開発したのは「夢の扉」/〝わくわくする〟製品を


無電力のドアを発明した石井社長

無電力のドアを発明した石井社長


 ■転職繰り返す

 地下鉄・東京メトロ銀座線。電車の車輌間をつなぐ引き戸は、乗客が開けると、自動的に閉まる。

 一方、病院や介護施設、学校…。ここでも石井社長の「引き戸開閉アシスト装置」が活躍する。

 開閉時、わずかに動かすだけで、なぜ開くのか。

 その答えは、装置に組み込まれた小さな「ぜんまい」にあるという。

 アイスリーは社員数3人。それでも全国から引き合いが絶えず、年間出荷台数は300を超える。とはいえ、ここまで来るには、さまざまな道のりがあった。

 石井社長の経歴は実にユニークだ。これまで10回近くの転職を経験している。高校卒業後は「フリーター」になり、職を転々とした。モヤシの配送、宅急便、大手物流企会社の正社員…。結局、どれも会社に骨を埋める気にはなれなかったという。石井社長は振り返る。

 「会社に入ってしばらくすると、自分の10年、20年先の人生が見えてくるんです。レールの終点が分かる。そうすると、嫌になってしまうんです」

 そんな石井社長が、ようやく〝居場所〟を見つけたのは、父からの紹介で就職した「自動ドアの施工会社」だった。1980年のことだ。手先が器用だったという石井社長。自動ドアの普及が進んでいた時期だったこともあり、多くの仕事をこなし、腕も上げた。

 そして25歳で独立。「石井商事」を設立した。業務内容は、前職と同じく自動ドアの施工だった。

 ■ドアしかない

 20年が過ぎようとしていた。会社も安定した。利益も出ている。それでも、元来、「先が見えてしまうと嫌になってしまう」という石井社長。どこか違和感があった。そんなある日のことだ。家に帰って妻につぶやいた。

 「居酒屋でもやってみようかな」と石井社長。すると、妻が返した。

 「あなたはドアしかできないんでしょ」

 「それもそうだ。この世界しか知らない。ドアなら腕と知識に自信がある。だったら、施工ばかりの〝下請け〟はやめて、いっそのことメーカーになってやろう」

 2004年。自社製品の自動ドアの開発を始めた。本業が終わると、会社に残って続けた。といっても、アイデアはない。図面も書けない。さて、何をすべきか―。

 まず取り掛かったのは、各メーカーの自動ドアの検証。全社の製品を分解してみて、それらにない機能が付いた製品を開発しようとした。ところが、どのメーカーの製品も性能に差がなく、独自性が見いだせなかった。

 だったら、電気を使わない自動ドアはどうか。それこそオンリーワンになれる。

 ■無電力を模索

 すぐさま着手した。最初に浮かんだのは、ゴムひもを使った無電力の自動ドア。ただ、自動に閉じるが、開くくのはできない。

 次は錘(おもり)。ドアに錘を付け、レールを少し斜めにすれば、わずかな力で開く。これも〝ボツ〟だった。レールをシーソーのように工夫するやり方も試したが、やはり難しい。

 そんな矢先、何気なく買った缶コーヒーのおまけに付いていた「チョロQ」。後ろに引くと、ゼンマイが巻かれ、前に進んだ。

 このゼンマイを使ってみたら、できるのでは―。つまり、ドアの開閉にあわせ、ゼンマイを2つ用いればいい。

 試作品をつくべく奔走した石井社長。チョロQのギアを製造している埼玉県の企業を探し当てた。

 「これでドアをつくりたい」。

 絵で示した石井社長の発想に、対応したギアメーカーの社長も驚きを隠せない様子だったが、最終的には試作品製作に応じた。

 ところが、仕上げた試作品を耐久試験に欠けると、ドアを3000回ほど開け閉めすると、中のゼンマイが動かなくなってしまった。ゼンマイは外国製だった。今度は都内ゼンマイの専業メーカーを探し、製作を頼み込んだ。

■わくわくする

 こうして、「引き戸開閉アシスト装置」を完成させた。以来、石井商事を休眠し、新たに設立した企業、アイスリーとして、出発することになる。

 取材で同社の本社を訪ねると、1枚の紙が貼ってあった。「ソニー、ホンダ、アイスリー」石井社長は言う。

 「創業当時のソニー、そしてホンダのように、〝わくわくするようなモノづくり〟を実践したくて…」

 説明する石井社長の目の輝きに、国内モノづくり産業の可能性も見た気がした。

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