ア・ドマニー、走り続ける業界の鉄人/自ら外回り営業こなす


ア・ドマニー創業者の志村社長

ア・ドマニー創業者の志村社長


 70歳を過ぎても、外回り営業をこなし、経営の最前線にいる。そんな〝鉄人〟に会ってみたいと、相模原市中央区相模原の「ア・ドマニー」のビルを訪ねた。相模原に馴染みがある人なら、一度は食べたことがあるに違いない。冠婚葬祭の仕出し料理、祝賀会などの出張パーティー…。アドマニーの料理は、幅広い場所で愛されている。創業者は志村英昭社長。地域におけるケータリングサービスの草分け的な存在でもあり、今なお現役経営者として多忙な日々を送る。仕事に賭ける男の生き様。そして経営者が本来あるべき姿―。志村社長から学ぶことは、数多くある。(千葉 龍太)
 
 ■脱サラで開業

 ア・ドマニーのビルには、老舗(しにせ)レストラン「ア・ドマニー」、「日本料理・志むら別館」などが入る。夕方、事務所に行くと、多忙な志村社長の姿があった。
 世間では暑気払いのシーズン。70歳になる志村社長は、チラシを手に、外回りに奔走していた。会議も重なる。
 ア・ドマニーの主力事業の一つが「ケータリングサービス」。冠婚葬祭や慶弔行事での料理の配送、配膳。そして、創立記念や竣工式などの出張パーティーなどだ。
 こうした事業を一代で築き上げたのが志村社長。
 とはいえ、もともとは脱サラして開業したため、料理は素人同然だったという。
 ア・ドマニーは1963年。現在と同じ相模原4丁目で産声を上げた。
 東京・杉並で生まれ、田名で育った志村社長。生コン運送会社でのサラリーマン生活に終止符を打ち、経営者人生のスタートを切った。
 当時の名称は「コーヒー&スナック ア・ドマニー」。アルバイトを含めると従業員は10人に満たなかった。
 料理の腕は必死で磨いた。ホテルでシェフをしていた知人に手伝ってもらい、約2年間修業した。フライパンの振り方から始まり、自家製ソースの作り方…。覚えることは山ほどあった。
 店のオープンは午前11時で、閉店は深夜2時。ほぼ年中無休。睡眠時間も数時間程度だった。
 やがて「本格的なホテルの味が楽しめる」との評判を呼び、地元のみならず、横浜や八王子からの客も増えてきた。志村社長は振り返る。
 「味に対するお客さんの好みは十人十色。濃い味付けが好きなのか。薄いのがよいのか。お客さんを見て判断し、調理した。ここまで気を配っていた」と。

 ■仕出し料理へ

 こうして地域の人気店となったア・ドマニーだが、志村社長には疑問があった。それは、収容人数に限りがある店舗型のレストランだと成長にも限界がある、ということだった。
 きっかけは開業から5年後のことだった。
 近隣で紙問屋を営んでいた社長の次男が交通事故で亡くなった。お寺で葬式をするにも料理がない。「レストランのものでもよいから、作って運んでほしい」。そう頼まれた志村社長は、店と同じ味の料理を提供した。これが評判を呼び、口コミによる注文が絶えなくなった。
 「仕出しなら、収容人員が限られた店舗型と違って、キャパシティーが無限大にある」。そう確信した。同年、「日本料理・志むら」も開業。仕出し、出張パーティー業務を本格化させた。

 ■苦にならない

 競争の激しい飲食業界に身を置いた志村社長。そのなかでも、成長を遂げ、90年には現在のビルを新装開店させるまでになった。
 当然、経営者として多くの苦労や修羅場を経験したことだろう。それでも志村社長は詳細をあえて口にしない。
 「自分は挫折したとか、苦労したとは思っていない。『苦労』と思ったら自分に負けたと同じことだよ」ときっぱり。
 さらに、「会社は潰れないと思ったら絶対に潰れない。応援してくれる人は出てくる」とも説く。
 経営者は、いつまでも悩みを抱えてはならない。積もれば「苦労」と思えてしまう。悩んだ翌日には課題解決の乗り出す行動力こそ必要になってくるという。
 リーマンショック以降、個人消費が持ち直さず、地域の飲食業界もその煽りを受けている。その一方で、消費者の選別も厳しくなっている。今はどの経営者にとっても難しい時代なのだ。
 志村社長は強調する。「重要なのは、お客さん目線にどれだけ立てるか。真剣に考えられるか」と。
 今でも得意先などの外回り営業に奔走するのはそのためだ。志村社長自ら営業マンとして、出張パーティーや仕出しの提案をしている。実際、「顧客と接してみなければ、同じ目線に立てない。何を求めているかも分からない」からだ。

 ■仕事への情熱

 志村社長の元気の秘けつは、しっかりとした健康管理はもちろんだが、ほぼ日課としているランニングとウォーキング。
 午前5時起床し、自宅周辺の4~5キロメートルを歩いたりする。それから職場へと向かう。出張パーティーなどの現場に立ち会うことがあるため、土日もない。創業以来、この生活は崩していない。
 「別に珍しいとは思わない。政治家だって毎日24時間働いている。経営者として当たり前の生活をしているだけ」
 70歳を過ぎて、若者以上に活発な生活を送る志村社長。支えているのは、内に秘めた仕事への情熱かも知れない。それは、決して衰えることはない普遍的なものだ。(2013年7月20日号6面掲載)

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