今でこそ起業志向の学生は少なくないが、高度経済成長期にあった1960年代、大学進学の主目的は大企業、有望企業に就職するためであり、ある意味、サラリーマン自体がめざすべき職業といえた。そのような時代に、「サラリーマンに向いていない気質だから起業をめざす」、「下請けになりたくないから顧客と直取引できる事業に特化する」などという若者は、少々変わり者と見られたかもしれない。
とはいえ、意志通りに計画を遂行し、事業所等の電気設備の設計・施工・修繕を手掛けるホンマ電機(相模原市南区上鶴間1-12-1)を率いて40年。本間俊三社長は出自こそ農家の三男坊だが、生まれながらにしてリーダーの資質を備えていたのだろう。
60年代初めに山形県から上京した本間社長は大学で電気工学を専攻する傍ら、起業を念頭に電気主任技術者の資格取得に向け勉強。卒業後まもなく国家試験に合格し、小さな電気工事業者のもとで実務に励んだ。
73年、電気工事士2名と創業。同年秋に勃発したオイルショックのためにやや苦戦を強いられたが、2年後に法人化。さらに4年後には新築社屋を構え、社員も2ケタになるまでに成長した。
新築住宅等の電気工事を主業とすれば、ゼネコンや工務店の下請けになるものの、自ら営業する必要はないが、既存建築物の電気設備の工事は、基本的に営業して回らなければ請け負えない。ここで大きな役割を果たしたのが、電気主任技術者の資格者団体だ。
「工場、病院、ビル、商業施設など受電設備のある事業所には、保守・保安監督者として必ず電気主任技術者が専任されている。そんな仲間から、担当する設備に修理等の用があると紹介してもらえた」と本間社長は話す。
こうした紹介から事業者との新規取引が始まり、それを基点にエアコンの導入・入替えなど、今度は同社から新たな提案を行い成約させていくことで関係を深めていく。折々の必要に応じた技術者間の問題解決策として取引が重ねられることから信頼関係は深く、顧客との付き合いは自ずと長くなる。
現在の取引先は約1500事業所(チェーン等を含む)。近隣住宅からの簡易な修理も多少あり、請負金額は数千円から数千万円に及ぶ。顧客との直接取引に加え、大半の作業はあらかじめ人員、日数を調整した上で計画的に行えるため、大きな案件でも20人の社員の持ち回りでまかなえるのが大きな強みだ。
事業の性質上、競合はなく、景気の影響もほとんど受けないが、紹介と既存顧客ばかりに頼らず、自ら新規顧客を開拓すべく、3年ほど前から営業専任者を1名置いた。
「どんな仕事でも一度請け負えば、長い付き合いが生まれる可能性がある。既存客に対しては省エネや防犯設備等の提案営業を積極的に行っていきたい」と、本間社長はまだまだ現状に安住してはいない。(2013年10月10日号掲載)