森会計事務所、サムライ精神で経営支援/「武士道の心」で税理士に


「神刀流」も続ける森所長

「神刀流」も続ける森所長


 相模原市中央区千代田に事務所を構える森会計事務所の森敏孝所長(68)は太平洋戦争時、東京空襲で家や親類を失った。それでも、めげずに生きた。大学で出会った「剣武」で武士道精神を学んだ。やがて税理士を志した。妻と子供3人を抱えた苦しい受験時代は、その精神を胸に、乗り越えた。そして、税理士として活躍する現在、森所長は、企業の経営改善のためにサムライ精神で挑んでいる。(船木正尋)

■戦後の混乱

 森会計事務所は、相模原市を中心に県内や都内に多くの顧客を持つ。現在は、従業員7人を抱える。とはいえ、事務所を開業するまでは苦難の連続だったという。
 森所長は東京・神田神保町生まれ。5人兄弟の3番目。実家は製本業を営んでいた。2階建ての家に住み、1階が工場だった。4畳半の狭い部屋で父以外の家族人6で寝ていたという。
 太平洋戦争のさなかだった。45年3月10日、東京大空襲で、森所長は家と親せきを失った。
 「当時、私は1歳でした。母の田舎である長野県駒ケ根市に疎開していたので、命は助かりましたが、空襲で叔母と従妹が亡くなったと聞きました。もし東京にいたら、今の自分はいなかったのかも知れません」
 終戦後、焼き野原だった神田神保町に戻った。父は元の場所で製本業を再び始めた。
 食糧難の時代。野生のさとうきびや木苺を食べて飢えをしのいだという。森所長は、「本当に何も無かったですから、食べられれば、何でもおいしかったです」と当時の様子を振り返る。
 54年の高度経済成長の始まりである「神武景気」のおかげで家業も軌道に乗ってきた。
 森所長は、近所にあった明治大学付属明治高校・中学校(現在は、東京都調布市)に進学。高校時代は、そろばんに熱中し、小・中学生に教えるまでになった。それが、今の職業の原点なのかも知れない。
 「友達に誘われて、そろばんを始めました。彼らが3級を合格するなか、自分だけ落ちましてね。悔しくて猛勉強しました。そしたら3級だけではなく2級も合格しました」と森所長。やがて本格的に税理士の道を志すことになる。

■大きな転機

 明治大学・法学部へと進んだ。大学では、詩吟研究部に入り、詩吟に合わせ居合を行う「神刀流」の剣武に出会い、没頭した。関東大学詩吟連盟の理事長も務めた。
 「剣武では、自分よりも相手を思いやる武士道精神を学びました。この精神が今のコンサルティングにも生きています」と森所長。
 大学卒業後は、印刷会社に就職。カタログやカレンダー製作の提案を行う営業マンとして多くの会社を回った。
 そんななか、転機が訪れる。
 得意先から伝票会計の印刷を依頼された。納品、売り上げ、在庫…。言葉は聞き慣れていたものの会計伝票の使い方すら分からなかった。
 大学時代に学んだ武士道精神そのものに、相手のことを考え、簿記と会計を勉強した。森所長は「先方のために一生懸命を勉強しましたね。このことが税理士試験を目指すきっかけになりました」と打ち明ける。

■月給5万円

 その後、サラリーマン生活を続けながら1年の猛勉強で、簿記論と財務諸表論の2科目に合格した。続けて相続税法にもパスした。
 そして本格的に税理士を志そうと27歳の時に会社を辞めた。妻と子供3人を抱えての厳しい状況での選択だった。
 会計事務所に勤めながら受験勉強をしようと数十カ所の事務所を受けたがどれも不採用。
 しかし、当時、住んでいた近所の会計事務所が「月給5万5000円なら」ということで、そこに決めた。
「給料が前職の半分。これで5人を食わせていくのは大変でした」(森所長)と振り返るが、逆に「何としても合格しなければ」と自らを奮い立たせた。
こうして背水の陣で挑んだ試験。残りの2科目も合格し、晴れて税理士となった。29歳だった。

■初心忘れず

東京の会計事務所を経て、35歳の時に相模原に移った。
「妻が相模原出身ということもあり、こちらにきました。当時は、顧客も少なく、建材業を営んでいた妻の実家に顧問先になってもらいました。言葉では言い表せないほど感謝しています」
 市内各地を営業で歩き回った。足が棒のようになった時も何度もあったという。森所長の物腰の柔らかさと相手を思いやる武士道精神に基づいた真摯な営業で、顧客は徐々に増えていった。
現在、市内だけではなく県内外にも顧客を持つ事務所にまでなった。学生時代から続けている「神刀流」の理事長も務め、国内外合わせて約2000人の門人を取りまとめている。
森所長は、「これからも初心を忘れない。税理士として多くの人々を支えていきたい」と語る。税理士として、顧客の経営改善のために真剣に向き合う姿は、まさに武道家そのものといえる。戦中、戦後の時代とともに歩んできた森社長。まさに、数々の困難に直面しながらも、決して道を見失うことなく、走り続けてきた。
そして今、見据えているのは「未来」なのかも知れない。(2013年12月1日号掲載)

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