ヨシ・ウェブ・サービス、より身近なIT目指す/地域活性化へHP作成


還暦を過ぎても目標を持ち続ける吉岡さん

還暦を過ぎても目標を持ち続ける吉岡さん


 大和市にあった日本アイ・ビー・エム(IBM)の研究所。ここに長年勤務し、独立してウェブシステムの構築やホームページの作成などを手掛ける会社を立ち上げたのが吉岡善一さん(66)だ。社名は名前の頭文字から「ヨシ・ウェブサービス」とした。2月には大和商工会議所主催の「まちゼミ」を開催。人気が沸騰し、キャンセル待ちもでるほどの盛況ぶりを見せた。目標は、パソコン関連技術、ウェブシステム構築などのサービスを提供し、地域活性化を促す「IT(情報技術)コンシェルジュ」だ。 (編集委員・小宮山光賢/2014年4月20日号掲載)

 ■洒落た事務所

 大和市の小田急線「南林間」からほど近いヨシ・ウェブサービスのオフィスは外に花を飾るテラスがあるなどかなりお洒落な外観だ。
 「よくレストランと間違えられて寄られる人もいます」と吉岡社長も苦笑する。
 それもそのはず、元はカレーで有名なレストランだった。まさに、「ITコンシェルジュ」を標榜する同社にとってはふさわしいたたずまいだ。
 ここで、コーヒーなどを飲みながらITに関する相談に応じるとともに、ソフト、システムの作成などにもあたる。事業の柱は、ウェブシステムの開発とオフィスシステムの構築、そして研修・パソコン教室の開設の3つ。
 最近は、ホームページ(HP)の更新がクリックするだけで簡単に行える「HP簡単更新システム」を商品化した。わずか3万円で、初心者にも短時間で容易に更新可能なシステムの販売を始めた。
 「顧客のニーズを的確に捉える。そして、いち早く提供するのが『ITコンシェルジュ』の使命だと思っている」と言い切る。
 しかし、ここまで来るには長い道のりがあったと吉岡社長は振り返る。

 ■開発畑歩む

 1972年に同志社大学大学院修士課程(工学研究科)を修了し、東芝に入社。主として半導体関連のLSIの設計・開発にあたった。
 2年後の74年に日本IBMに転職する。開発研究所に所属することになった。それから約15年にわたりパソコンの設計、企画、総合開発などを担当した。
 ここで、研究所のあった大和市に縁ができたわけだ。IBMは、それまで事業所向けの大型コンピュータが中心だったが、個人向けパソコンの開発・販売に舵を切った。
 「職場も活気がみなぎっていました」と吉岡さんは言う。
 特に、英語を日本語に移し替え、米国の企業から徹底した「日本向け」仕様のパソコンを売り出した。そのテレビCMには、当時売れっ子だった「寅さん」こと故・渥美清さんを起用したことで話題を集めた時期でもある。
 吉岡さんは、「仕事も順調に進み、楽しかった思い出しかありません。色々と経験をさせてもらいましたよ」と当時を振り返る。

 ■IBMを退社

  そんな中、99年に、開発製造から人材研修へ転身することとなり、系列の「日本研修サービス」に移籍した。その3年後の02年、独立することに。コンピュータ開発に携わりたいという、あくなき探究心が背中を押した。吉岡さん、54歳の時。
 「いずれは、独立して起業したいという願望がありましたから、迷うことはなかったですね。早期退職に手を挙げました」
 「定年の60歳では、気力や能力も落ちて、独立も不可能。独り立ちするには55歳までと決めていました」
 その後、日本IBMは、パソコン事業を中国のレノボに売り渡すなど、かつてのビッグビジネス企業の面影はなくなり、「結果的にはいい時期に辞めたわけです」と振り返る余裕も。

 ■本格的に始動

 辞めてもすぐには起業しなかった。
 早期退職に伴う退職金の割り増しなどもあり、「数年間、ゴルフ三昧の日々を過ごしました」と語る吉岡さん。
 個人事業としてヨシ・ウェブサービスを立ち上げていたが、本格的に取り組んだのは4年前の10年に株式会社としてからだ。国や県、市などからの公的事業を受注するためには法人格を持つことが必要となったためだという。
 手始めに、大和市内の商店街のHP作りを受注した。雇用対策も兼ねた国の事業だったため、臨時に3人を採用した。600を超すHPを作成した。多忙を極め、行列のできる人気店となり、感謝された例もあるという。
 吉岡さんが今まで培ってきたIT技術を通じて、市内の地域活性化に一役買ったのだ。これを契機に、ウェブシステム開発を主な事業の柱にすること決めた。
 特に中小企業や商店を対象にした企業内コンピュータの構築やHPの作成などを手掛けた。このほかに更新ソフトの販売事業も展開している。吉岡さんは、中小企業や商店街を元気づける「ITコンシェルジュ」を目標に66歳になった今でも走り続ける。

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