サンヨーテクノ、地域に根差した工務店を/苦境をバネに再起図る


「地域一番店を目指す」と語る中山社長

「地域一番店を目指す」と語る中山社長


 相模原市中央区宮下に社を構えるサンヨーテクノ。リフォームを中心に業績を伸ばしている工務店だ。創業者は中山進社長(62)。都内の工務店を経て、埼玉で建設会社を立ち上げた。最高売り上げ25億と業績は順調だった。その後、都内に営業所を持つまでになった。しかし、事業を広げすぎ、運転資金が回らなかった。そして倒産。だが、中山社長は諦めない。食品工場のバイトなどを経て、リフォーム業の世界に。中山社長は「これならやれる」と相模原で会社を立ち上げる。地域に根差した工務店を目指し、中山社長の挑戦が始まった。(船木 正尋/2014年5月10日号掲載)
 ■実家を継ぐ

 東京都出身の中山社長。実家は畳屋を営んでいた。高校卒業してすぐ、会社勤めを始めた。だが、サラリーマン生活はなじめず退社。 
 その後、中山社長の父から「畳屋を継いでくれないか」と頼まれた。昔から親しんでいた畳。
 中山社長は「よしやってやろう」と意気込んだ。今までは手縫いだった業務工程に、機械を導入した。工務店との業務提携をしていたこともあり、畳をつくれば売れた。業績は次第に上がっていった。そんなか中山社長はもっと色々な経験をしてみたいと実家を飛び出すことに。22歳の時だった。
 「たまたまうまくいって、自分ならもっとできると思ったんですね」と当時を振り返る。

 ■建築業界に

 そして24歳の時、都内の工務店に入社する。建築業界に足を踏み入れた。
 「建築には、昔から興味はありました。実家が畳屋ですから、現場にはよく行ってたので」
 中山社長は仕事に熱中した。営業が主だったが、時には現場監督も務めた。
 建築施工の計画を立てることができる2級建築施工管理技士を取得した。
 「ここでは、色々な経験をさせてもらいました。本当に感謝しています」と中山社長。当時はバブル真っ只中。会社は不動産部門も立ち上げ、土地を買っては売るで、100億円以上を売り上げていた。
 その分、建築部門の仕事は縮小していった。不動産部門の仕事に回されていた中山社長は、「これは違う」と感じていた。
 そして、39歳の時に一代決心をする。十数年務めた工務店を去ることにしたのだ。
 中山社長は「建築の知識や技術を取得しようと、この工務店に入社したのに、と思っていましたから」と話す。

 ■倒産を経験

 会社を辞めた中山社長は、埼玉県上尾市に事務所を構える。「自分のことを知らない場所で、力を試したかった」と(中山社長)語る。中山社長は1級建築施工管理技士の資格を取り、仕事の幅を広げた。物流倉庫の施工などを手掛け、順調に業績を伸ばしていった。その後、法人を立ち上げ、浦和に自社ビルを建てるまでになった。
 「多くの仕事があり、手が回らない状況でした」
 最高売り上げは25億円までにのぼった。従業員も40人も抱えるまでになった。世田谷区、台東区にまで営業所を構えるほど、事業を拡大していった。だが、その事業拡大があだとなった。
 その当時、30カ所の現場が動いていたが、資金回収がうまくいかず、資金繰りが悪化。1997年に倒産という悲劇に。中山社長は「倒産の原因は事業の拡大でした。いい勉強になりました」と打ち明ける。
 しばらくして、親の面倒を見ようと、両親が住んでいる相模原に居を構える。
 建築業以外の世界も見てみたいと、食品製造工場のアルバイトに汗を流した。
 「非常に面白かったですね。ベルトコンベヤーから流れくるシュークリームの焼き具合を確かめたりしていましたよ」と笑顔を浮かべる。
 その後もテレホンアポインターなどの仕事を経て、リフォームを中心に行っている町田の工務店に入社した。今までの経験を生かし、営業マンとして年間1500万円もの売り上げをあげた。

 ■再び起業

 そして中山社長は、一念発起する。町田の工務店を辞め、相模原・橋本にリフォーム専門の工務店を立ち上げたのだ。
 「これなら自分にもできる。もう一度自分でやってみようと思いました」
 前職での営業経験も生かし、業績は伸びていった。相模原や町田、八王子と仕事に飛び回った。2007年に今の場所に会社を構えた。従業員も増やし、仕事も都内や県内まで広げていった。しかし、ここでも売り上げは伸びるが、経費も増え、赤字に転落。
 だが、中山社長は諦めない。大胆な事業転換を図ったのだ。遠方の仕事から近場の案件に傾注し、経費を抑えたのだ。現在、売り上げは8000万円まで回復。さらに仕事の効率化を図れるようにと、現場監督と事務方がチームを組み、業務にあたっている。
 中山社長は「相模原を中心に地域に根差した工務店を目指しています。どんなに小さなことでも駆け付けますよ」と。中山社長は、今でも現場に顔を出す。「人と会うのが私の仕事ですから」と話す。小さな仕事をコツコツとこなし地域一番店目指す中山社長の熱き想いを顧客に伝えていく。


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