デフレと呼ばれるなか、パジャマのネット通販だけで、月3000万円を稼ぐ企業がある。相模原にあるフレックス(熊坂雅之社長)だ。安価な海外製の普及とともに、斜陽産業といわれるパジャマ業界。熊坂社長は妻・泉さんとともに、生き残りをかけ、ビジネスモデルを追い求めた。たどり着いた結論が「顧客目線に立つ」という、いわば商売の原点に回帰することだった。(千葉 龍太)
■リピート率
相模原市緑区橋本の閑静な住宅街に、フレックスの本社はある。中に入ると、無数のダンボールとともに、出荷を待つ商品が並んである。
熊坂社長がネット通販「パジャマ屋」を立ち上げてから、今年で12年年目。当初は、妻・泉さんと二人三脚だったが、今ではスタッフも14人に増えた。
同社で販売しているのは、ただのパジャマではない。〝高級パジャマ〟だ。熊坂社長いわく「糸1本から吟味して、うちだけの着心地にこだわった」。
1~2万円する商品も珍しくない。それでも、月に3000万円以上売り上げることもある。購入者の半数近くがリピートするというから驚きだ。
今でこそ軌道に乗った熊坂社長だが、ここまでの道のりは決して平たんではなかった。
会社の前身は、かつて緑区下九沢にあった「アサヒランジェリー」。
高級ブランドのパジャマ製作を請け負っていた。熊坂社長が父親から経営を引き継いだのは、バブル崩壊後のこと。市場には、安価な中国生産品が出回るようになり、百貨店の高級パジャマ売り場も徐々に姿を消しつつあった。
このまま続けるか、それとも廃業か。時代の波とともに、熊坂社長もまた、経営判断を迫られていた。
■料理サイト
90年代後半。インターネットの普及に伴い、ネット通販を立ち上げる企業も増えていった。商売の〝新しいタネ〟を探していた熊坂社長も、初代サイト「パジャマ屋ドットコム」を立ち上げた。
ところが、期待とは裏腹に、まったく売れず、さらなる苦境に立たされることに。こうしている間にも、「アサヒランじゃリー」の固定費も増す。内部留保も減る一方だった。
「先行き真っ暗だった状況を何とか打開したかった」(熊坂社長)。
まもなく転機が。話題になった料理サイト「クックパッド」を見て衝撃を覚えた熊坂社長。ネットビジネスのヒントを聞きたいと、クックパッド創業者の佐野陽光氏を訪ねた。佐野氏からは、楽天への出店を勧められたという。
00年に楽天への出店を果たした。とはいえ、品ぞろえは、わずか2種類。「準備はできていなかったが、とりあえず走り出す方を優先させた」と熊坂社長はいう。
■3万5千円
当然、売れるはずはない。出店翌月の売り上げは、たった3万5000円。しかし、ここから模索が始まった。
通販事業に専念するため、まもなく「アサヒランじゃリー」を清算。手元に残ったのは半年分の生活費のみだった。
助けてくれる従業員はいない。泉さんとともに、まさしくゼロからの出発だった。
泉さんは当時の様子を振り返る。
「2人とも関する専門知識もない。すべてが手探りで独学だった。子育てもあった」と。
睡眠3時間の日も珍しくない。手探りは続けられた。確かに、同じ楽天市場でも、パジャマを販売する同業者はいる。資金がなく、広告も出せないなかで、いかに勝負するのか。議論は繰り返された。
目を着けたのは、大切な人への〝贈り物〟としての高級パジャマだった。
「自分のパジャマにはお金をかけない人もいる。それでもギフトなら高くても購入する」まさしく女性目線で考えた、泉さんの発想だった。
贈り物だけに、商品のラッピングのデザインは、こだわり抜いた。今では売り上げの約4割がギフト向けという。
商品発送時には1枚1枚手書きのメッセージも書き添える。しばらく購入から遠ざかっている顧客には、直筆の手紙を出す。
熊坂社長は「商品を受け取った人にどれだけ感動してもらえるか」と真心のサービスを続けた。
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■商売の原点
年月のともに顧客数も着実に増えた。なかには、67回もリピートする顧客もいるほど。店と顧客との対面販売ではないネット通販の世界。一般的には、両者のコミュニケーションが薄いと思われがち。
しかし、「お客さんの声がすぐに入ってくる。今はネット上で商品レビューなどもあり反応も早い。実店舗以上に顧客との距離は近い」と、熊坂社長は反論する。
一方で顧客の声を、次の商品開発にすぐに反映させられるのも有利な点ともいう。
米リーマンショック後、個人消費はなかなか回復しない。それでも順調に成長を遂げている。苦労を共にした泉さんは現在、パジャマ屋の「店舗統括マネージャー」を務める。
儲かっているからといって、特別なビジネスモデルがある訳ではない。
「あくまで顧客目線。相手の立場に立って、どう考えられるかが大切」と、泉さんは語る。
それは、まさしくビジネスの原点とも言える。
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