もう“さがみっぱら”ではないなあ―1980年代初頭あたりまでの相模原を知る人なら、現在の町並みにこんな感慨を抱くはずである。
開発の波は市内全域に及ぶが、古淵駅周辺は大きく様変わりした区域の一つだ。田畑や雑木林、すすき野に包まれていた横浜線沿線の景観は、今やびっしりと住宅で埋まる。
「うちのほうが先入だが、近隣住民とうまくやっていくため、操業時間は午前8時から午後7時までに限定し、この間、窓は全て閉めて音漏れを抑えるなど配慮している」
汎用旋盤・フライス、マシニングを駆使したステンレス加工で30余年の実績持つ今井製作所(相模原市中央区東淵野辺4の31の25)の今井清子社長はこう話す。
同社は80年、現会長の正芳氏が町田市上小山田で創業。機械性能より職人と腕と経験がものを言う時代に技を磨いた同氏が「他の職人には負けたくない」と、自らの名を掲げて始めた会社だ。
半導体製造装置に使うステンレス部品の切削加工を基幹事業として発展。82年の法人化を経て、85年に現在の地に移転した。
取引先一社への依存率が8割。資本、組織力とも決して十分とはいえぬ体制ながら、優れた技術と小回りの効く対応を武器に顧客からの厚い信頼を得、半導体景気の大波もリーマンショックも乗り越えてきた。
難しいとされるステンレス切削加工技術の有無があまたの金属加工業者を選別するとはいえ、ライバルは少なくない。景気が落ち込めば、当然価格競争になる。
「際限のない価格競争は自らの首を絞める。喉から手が出るほど仕事が欲しい時でも、原則として利益の出ない案件は請け負わない」と今井社長。
長い目で見れば、この姿勢こそが優れた加工技術の付加価値を高め、生存競争を勝ち抜く英気を養うことにつながる。
とはいえ、かつては落ち込んだ分だけ反発した景気も、リーマンショック以後は、元に戻らぬまま平常化してしまった。加えて、ここ10年ほどで海外への生産シフトが一気に進み、受注件数自体も減っている。
そんな中、経営陣、職人の一人として同社の次代を担う今井竜二専務は、様々な局面打開の道を探っている。
「一社依存体質を改善し、業績を安定させるためにも、食品や医療など半導体関連以外の分野へ参入したい。展示会やネット等を通じて徐々にだが手応えは出てきている」
一方でもう一つ、有効策として着目しているのが、原点回帰ともいえる汎用旋盤の技術だ。
「フライス等に比べ低い工賃、職人の高齢化により、汎用旋盤のニーズが相対的に高まりつつある。職人の確保、育成、工賃の改善等、課題は多いが、取り組む価値はある」と同専務。
家族経営の町工場にとって重要なのは、ものづくり国家の復活などという仰々しいスローガンではない。「我々にはこれしかない」「技で他社に負けたくない」という信念と自覚が未来を開く。
(矢吹 彰/2014年10月1日号掲載)