杉本憲昭さん、山荘運営しトレイル振興/ふる里藤野と北丹沢を愛す


個性ある藤野を目指す杉本氏

個性ある藤野を目指す杉本氏


 丹沢山塊にそびえる県の最高峰・蛭ヶ岳。その山頂に立つ蛭ヶ岳山荘は登山者の安全と山岳スポーツ振興、そして遭難者の捜査・救助の拠点になっている。この山荘を管理運営するNPO北丹沢山岳センター理事長の杉本憲昭さん(75、緑区小渕)は、北丹沢を愛し、ふるさと藤野への愛着にあふれた半生を送り、今もトレイル競技振興などの活動に取り組んでいる。学生運動、政治活動、地域の歴史と文化伝承活動などにも彩られている杉本さんの軌跡を追った。(編集委員・戸塚忠良/2014年12月1日号掲載)

 ■登山と学生運動
 北相模の山里・小渕集落に生まれた杉本さんは中学生の頃から山登りに親しみ、17歳のとき八王子への通学電車の中で知り合った同好の士とともに藤野山岳会の結成に参加した。会員は50人ほどで、今でも付き合いを続ける仲間は少なくない。

 神奈川大学に進学してからは学生運動にのめり込む。学生による反体制運動がピークに達した60年安保闘争では、神大学生委員長としてデモの先陣を切り機動隊と対峙した。三井・三池争議や成田闘争、新島のミサイル基地反対闘争にも身を投じた。強靭な反骨精神の証だ。

 「反戦・平和」の情熱は燃え続け、社会党系の県社会主義青年同盟副委員長として活動。ベトナム戦争時に相模補給廠からの戦車搬出を阻止しようと約1万人が西門前に集結した、いわゆる西門戦車闘争でも体を張って反戦を叫んだ。その後、消費者運動の領域で活動し、県北生活協同組合の専務理事を10年間務めた。

 「学生運動の中で一番印象に残っているのは」という質問にはためらいなく「樺(かんば)美智子さんの死です」と答える。安保反対闘争で命を落とした、同志と言うべき東大生を悼む気持ちは50年余りを経ても消えないようだ。

 ■猪突猛進

 青年時代は横浜が主な活動拠点だったため、周囲から横浜での政治活動を勧められたが、「自分の生まれた土地が一番好きだから、藤野でやる」と断り、75年に藤野町会議員に立候補し当選。町議を4期務めた後、町長選に立候補したが落選し、政治活動から身を引いた。

 若い頃には藤野町の中学校統合問題で「各地区の中学校は地域文化の拠点」と訴えて議会の議場占拠という直接行動に走り、後には相模湖モーターボート組合の不明朗な収益分配を暴いて「猪突猛進」のあだ名が付いた。

 だが、地域に密着した活動として持ち前の行動力を存分に発揮したのは、相模ダム建設殉職者合同慰霊祭の実現だ。第二次大戦中に工事が進められ47年に竣工した相模湖・ダム。その建設に伴う日本、中国、韓国・北朝鮮の殉職労働者の実態についてはほとんど公表されていなかったが、故長州一二知事がこの歴史に言及して以来、実態解明の声が高まった。

 杉本さんは実行委員会を組織して追悼集会を開くための準備に奔走。殉職者の遺族を探し、中国と朝鮮半島にも足を運んで証言を集め、県などにも協力を呼びかけ79年7月、県立相模湖公園で初の追悼集会を開いた、杉本さんは初回から10回目まで実行委員長を務めた。特筆すべき事跡と言える。

 ■トレイル競技

 その一方、山岳活動が途切れることは決してなかった。北丹沢の登山基地として重要な役割を担っている山小屋、神の川ヒュッテの管理運営に着手し、93年には台風で壊滅的な打撃を受けた施設を改築して再オープンした。山道整備などのボランティア活動の拠点にもなっている。

 そして、今年で16回を迎えた北丹沢12時間山岳耐久レースの開催。高低差1143メートルに及ぶ44・24キロのコースで健脚自慢がタイムを競うトレイルレースで、今年の参加希望者は定員の2千人を超えるほどの盛況た。東丹沢、山梨県道志村でのトレイルレースも開催している。

 こうした活動は大きな反響を呼び、今年9月の日本トレイルランニング会議で会長に選任された。

 「参加者がルールをきちんと守り、自然と人間が共生する競技を続けていきたい」と話す杉本さん。この言葉通り、長年にわたり丹沢大山国定公園などで登山道の整備、植樹活動、自然保護思想の啓発に取り組んできたとして、12年度の自然公園関係功労者環境大臣表彰を受けた。

 もう一つの活動は書籍の出版。「藤野の山と峠」「北丹沢ガイドブック」をはじめ近・現代の藤野の民俗と貴重な遺稿を収録した「北相模の歳時記」を編集、発刊した。

 ■地域愛

 不動産業を営みながら藤野リトルリーグ会長、国道20号線拡幅の要望活動といったボランティア活動もしてきた。現在は藤野観光協会会長を務める。

 「土着の人間とよそから入って来た人たちが対立するのではなく、折り合いながら豊かな文化を創り出していけば、そのこと自体が外に向けての発信力になる。観光客の増加という経済的な効果も生まれると思う。行政に依拠しても頼りきりにならず、住民が力を合わせて小さくても個性のある藤野を作っていきたい」。

 こう語る杉本さんを支えているのは、北丹沢の山々とそこで出会った人たちへの愛着、そして生まれ育った藤野への郷土愛である。

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