「これまで自由に好きなことをやり、総じて業績も順調にきた」
製缶溶接業で45年の歴史を持つ藤木工業(相模原市中央区田名3324)の中里久雄社長はこう振り返る。
まだ生気あふれるとはいえ、中里社長も73歳。承継も気になるところだが、「創業50年ぐらいになったら誰かが引き継ぐよ」と素っ気ない。その理由は、同社の道程が社長の稀有なタレントに委ねられてきたことと無関係ではないように思える。
旧城山町葉山島藤木の農家に生まれた中里社長は、中学校を卒業するや、進学よりいち早く手に職をつける道を選択。公共職業補導所(職業訓練所)で1年間電気溶接技術を学び、一級技能検定に合格した。
父親から「腕で勝負するなら、自分の名で商売をやったほうがいい」との助言を受け、独立起業を念頭に10年ほど、相模原や厚木市内の事業所で腕を磨いた。
創業は1970年。結婚後、新居を構えた田名に事業用地を確保し、出身地名を社名に据えた。
溶接業自体引き合いの多かった時代だが、叔父の知人を通じて内陸工業団地(愛川町中津)に支所のあった日本国土開発を紹介してもらったことが、成長の礎となった。仕事は主に建機のスクレイパー関連のメンテで、溶接だけでなく、部品製作や社員を派遣しての組立作業も請け負った。
さらにもう1社、撹拌機等の製造・販売を手掛ける井上製作所(伊勢原市)が得意先に加わると、四半世紀、事業は順風満帆。90年代半ばには、70名の社員を数えたこともあったほどだ。
それだけに99年の日本国土開発の倒産(後に更生)は同社に大きな打撃を与えたが、一方で中里社長の潜在的なタレントが開花する転機となる。
「仕事の合間に、独自に考案した様々な機器、装置を作るのがライフワーク。資金に余裕があれば、つぎ込む」と話す中里社長の才は溶接業の枠に収まらない。得意先を失った間げき利用して〝ライフワーク〟に注力。次々とユニークな機器、装置を生み出していく。
バイオマス用チップの原料となる林地残材を束ねるバンドリングマシン、建物解体等の工事現場で飛散する砂塵を抑制する自走式散水機・装置、磁石を埋め込んだ円盤を動力伝達軸に取り付けることにより増幅させた電流を発生させる磁力反発式発電装置をはじめ、いずれも特許、実用新案権取得の画期的な製品だ。
権利料が絡むだけに試作機や僅少な引き合いにとどまっているものも少なくないが、散水機・装置は多くの引き合いを受けて多様なラインアップに広がり、販売のほかレンタル、メンテを含めて現在、基幹事業の一翼を担うまでになっている。
「自らの手は汚さずに売らせてくれという申し出は多々ある。大手と組めば権利を奪われる」と嘆きつつ、マイペースで製品開発を続ける中里社長。アイデア、意欲はとどまるところを知らない。 (編集委員・矢吹彰/2015年4月20日号掲載)