新着記事一覧

  • 03-2men - コピー

    東洋羽毛で職場体験/羽毛布団の製造学ぶ

     東洋羽毛はこのほど、相模原市中央区淵野辺の本社工場で、地元の小学生を招いて工場見学会を開いた=写真。大野北小学校の3年生120人が、羽毛布団が作られる過程などを学んだ。  児童らは、社員の案内で製品の研究開発や、羽毛の洗浄・乾燥、布団の縫製など、同工場で扱う一連の作業を見学。各部署のスタッフに質問

  • 02-2men - コピー

    ブリッジ、萌えキャラで町田PR/画像素材など無料で配布

     家庭用ゲームやスマートフォンアプリ開発のブリッジ(町田市中町)はこのほど、萌えキャラで同市を盛り上げようと「まちだけ。」を発表、キャラクター画像の無料配布や主題歌CDの発売などで話題を呼んでいる。  「まちだけ。」は、萌えキャラ「町田まどか」を中心に地域企業とのコラボレーションを目的とする地域密着

  • 03-1men - コピー

    西武信金、タイ倉庫業と業務提携/ASEANを視野に

     西武信用金庫(東京都中野区)はこのほど、タイの賃貸倉庫・倉庫開発大手「タイコン・インダストリアル・コネクション」と業務提携に関する覚書を締結した。タイ進出を計画している取引先企業に、同社の事業を紹介していく。  今回の提携は、12月に発足する予定の「ASEAN(東南アジア諸国連合)経済共同体」を視

  • 01-2men - コピー

    大和市がまちづくりビジョン発表、整備方針を策定/東急線中央林間駅付近

     大和市はこのほど、東急電鉄中央林間駅付近の都市整備について基本方針を示した「中央林間地区まちづくりビジョン」を策定した。ことしから整備手法の検討に入り、2018年度の供用開始を見込む。  同ビジョンの位置づけは、中央林間地区に不足している都市機能を補うため、公有地や民有資産を活用する。健康で快適な

  • 01-1men - コピー

    桜美林学園、公立2校跡地に新校舎/1千人の研究活動見込む

     桜美林学園(町田市常盤町)はこのほど、閉校した市立本町田西小学校と、隣接する同本町田中学校の跡地に新キャンパスを設置する計画を発表した。学生・教職員約1000人の教育・研究活動を見込んでいる。 (芹澤 康成/2015年11月20日号掲載)  桜美林学園は、市の公募型プロポーザルで選ばれた。契約は土

  • パウの満田社長 - コピー

    パウ、立体造形で確かな地歩/「奇跡の一本松」保存に参加

     テーマパークや美術館のモニュメント、商業施設のPRディスプレーなどさまざまな立体造形の制作施工を手掛ける㈲パウ(相模原市南区麻溝台)。FRP(繊維強化プラスチック)を素材にした作品はテレビコマーシャルや市内の企業の店頭などでもおなじみだ。その技術力の高さは、東日本大震災で被災した陸前高田市の『奇跡

  • frontier-2men - コピー

    ファンシード、ゴルフ指導者考案の理美容用品/窓付きカットクロス

     商用取引時でも、受け取った名刺に「日本プロゴルフ協会ティーチングプロ」とあれば、興味をそそられる。裏返すと、ハーフ29、ラウンド60の最小ストローク、ホールインワン8回など、驚異的な記録の数々。  「名刺をきっかけとしたゴルフ話が営業の場づくりになることも多い」  理美容用品などアイデア商品の企画

  • 福田あやさん - コピー

    福田あやさん、ノジマステラ

     ノジマステラ神奈川相模原のU―18「ドゥーエ」の監督。サッカーが好きで、奥深さを追求したい余りに指導者の道へ。女子サッカー・チャレンジリーグの益城ルネッサンス熊本で監督だったとき、横浜のチームと対戦して力の差に衝撃を受けたという。菅野将晃GMに申し出た。やりがいは「選手1人ひとり無限大に広がってい

  • 05-2men - コピー

    田名交通、タクシーに“お絵かき”/田名小児童が四季描く

     旅客自動車業の田名交通(相模原市中央区田名)は10月19日、同区宮下の自動車整備工場でタクシーのお絵かきイベントを開いた。田名小学校の特別支援学級で学ぶ児童ら9人が、相模川のこいのぼりや的祭(まとまち)など、田名の四季を車体に描いた。  今回のイベントは、設立50周年を迎えた同社の記念事業の一環。

  • 130317_matinowadai

    土門文化賞尽力、写真家の江成氏が酒田市から表彰

     相模原市出身の写真家・江成常夫氏(79)がこのほど、山形県酒田市の特別功労表彰を受賞することが決まった。県内の居住者で、はじめての受賞となった。  受賞功績は芸術文化興隆。1994年に創設された「同市土門拳文化賞」の審査員を20年以上務める中で、同賞の水準を「プロへの登竜門」と言われるまでに高めた