あらすてき化粧品(相模原市緑区上九沢)の代表取締役社長、坂内(ばんない)良子さんは、努力を重ねて自分の生きる道を切り開いてきた元気いっぱいの女性。数多くの仕事を経験し、育児の面でも試練を乗り越えて来た。数年前、「女性の悩みを全部解決するためのオリジナル化粧品を開発・販売しよう」と考え、自分も相手も幸せな気持ちになる言葉、「あらすてき」をブランド名にした基礎化粧品の製造・販売に着手した。現在は健康食品の販売にも手を広げており、多忙な日々を過ごしている。(編集委員・戸塚忠良/2015年11月10日号掲載)
■出身地は宮古
坂内さん(59)は岩手県宮古市に生まれた。生地には昔そのままの暮らしが残っており、生活用水は井戸から甕(かめ)に汲んで使う毎日だった。家事を手伝う良子さんの手は寒さにかじかみ、肌が荒れた。そのつらい経験は後年、すべての女性の美容に役立つ化粧品の製造、販売を考える遠い伏線になった。
高校卒業後、両親に「先生になって帰って来る」と約束して上京、教員資格取得を目指して文教大学女子短大部に学んだ。学業にいそしむ傍ら精肉店でアルバイトに励み、念願通り教職の資格は取ったが卒業と同時に結婚したため教団に立つことはなかった。
夫の正さんとの間に5人の子供に恵まれたが、次男は脳の障害を持って生まれた。のちに川崎市の溝の口から相模原に転入したのは、次男の小学校の通学がしやすいためだった。
保険会社に勤めた坂内さんは持ち前の明るさとプラス思考を存分に発揮してトップクラスの成績を維持し続け、管理職に昇進するまでになった。
■苦難を越えて
だが、ほどなくして夫の経営する精肉店が、近隣に大手が進出してきたため経営難に陥り、廃業に追い込まれるという苦難に見舞われた。
また、入院した子供を看病するため病院に泊まり込んだことや、学校でいじめに遭った子どもが話した内容をそのままノートに書きとって学校へ持ち込んだこともあった。こうした事情で会社勤めは難しくなり保険会社を退職。家計の収入はほぼゼロになってしまった。
しかし、その苦しさを受け入れて前に進むのが坂内さんの流儀。生活を支えるため生来の負けずぎらいの性格とプラス思考で苦境を乗り越えていく。
保険の代理業、不動産業、車の代理店、家庭教師、人生相談、そして化粧品の代理店など、できる限りの仕事をこなした。昼間は保険の勧誘に歩き、夜はスナックのママとして働いた時期もあった。
残念ながらこうした「何でも屋」の業態は間もなく行き詰り、打開策が必要だと考えるようになった。ちょうどその頃、信頼できる財務のエキスパート松本節男さんと知り合い、相談に乗ってもらった。
松本さんのアドバイスに耳を傾けながら出した結論は、化粧品の開発・販売に特化することだった。
■化粧品を製造
新製品を作るにあたって、ユーザーのための4つのコンセプトを定めた。『使ったその場で違いがわかる』『健康的な自然な白さ』『シミと毛穴を目立たなくさせる』『今使っている化粧品を排除しない』。
こうして「あらすてき化粧品」が生まれた。
最初に作ったのは、抗酸化作用を持つアスタキサンチンと最新のナノ技術の結晶である泥パックとクリーム状の化粧下地。さらに化粧水、美容液、保湿クリームを発売した。
今年春には、天然水に特殊製法で酸素を充填した酸素水や、ノコギリヤシ、乳酸菌などを原材料にした健康食品をラインアップさせている。
販売は大手2社やネットを通じて行っているほか、代理店形式でも展開している。現在、30店が主力となっており、拡充に力を注いでいる。また、知名度アップを狙いにした日刊紙のプレゼントコーナーへの出品の反響は大きい。
化粧品発売後、大震災で被災した故郷の宮古を訪れた坂内さんは、胸のふさがる思いを抱きながらボランティア活動に奮闘した。その折、地元の女性たちとの話の中で化粧品の相談をされることも多く、「扱っている商品を使ってみたい」という希望に応えるうち、口コミで愛用者が広がった。「被災者を助けたいという気持ちだったのに、私の方が助けられました」と顔をほころばせる。
■あしながおばさん
あらすてき化粧品の昨年の年商は約900万円。まだまだ成長途上の企業と言うほかない。
それでも、「地道にこつこつ正直にやっていきます」と話す坂内さんに焦りの色は無い。むしろ、「わくわくしています」と明るい声を響かせる。
松本さんのほかにも、ベテランのコピーライターや若い女性協力者も会社を支えており、「人に恵まれています」と坂内さん。「これからも明るく、前向きに死ぬまで働き、稼いだお金を恵まれない子供たちのために使うあしながおばさんになりたい」と、目を輝かせながら遥かな目標を語る。