日本アイエムアイ(相模原市中央区矢部)代表取締役の板橋清さん(65)はまだ黎明期にあった日本のエレクトロニクス産業のセールス分野で経験を積み1985年、35歳のときに創業した。当初は電子機器の製造を主要な業務にしていたが、バブル崩壊後は自社ブランドを持つ開発メーカーに転身し、生産工場向けのFA機器特注品の開発・製造などを手がけてきた。省エネ・効率化という産業界の需要にこたえる製品開発への板橋さんの意欲と経営理念は、企業倫理を何より大切にする信念に支えられている。
(編集委員・戸塚忠良/2016年1月10日号掲載)
■日本IMI創業
板橋さんは栃木県の出身。東京電機大工学部二部に学び、学生時代には劇団四季で舞台音響や照明に携わった経験もある。卒業後の進路を決める際、芝居の世界に進むことも考えたが、「大学で学んだ電子工学の知識を生かそう」と考えて明治電機工業に就職。大手電機メーカー相手のセールス部門で活躍した。
だが数年後、尊敬していた先輩が会社を辞めることになった。理由はわからなかった。それが契機になって「こんなに優秀な人が辞めてしまうのなら、自分の将来もない」と考えて退職。その後町田で電気会社を興して5年間、合理化と省力化につながる生産設備の設計・製造に従事した。
こうした経験を踏まえ、将来の日本の産業にとってFA化が必要不可欠になると考えた板橋さんは85年4月、日本アイエムアイを創業した。従業員は7人、専務は商品開発にキャリア豊富な技術者だった。
大手電機メーカーの生産ラインの自動化技術を開発・提供するとともに、アナログ・デジタル機器の開発をサポートした。量産品の生産も行い、初年度4億円の年商が5年後に13億5千万円に伸びたことは、会社の技術と生産・品質管理力が高く評価されたことを如実に示している。
この間、市内横山台と矢部、滋賀県大津市に開発・生産拠点を設けるなど発展を重ね、従業員は最大80人にまで増加した。
■倫理法人会入会
社業発展の過程で会社の膨張に伴う経営への不安感から脱出しようと90年、相模原市倫理法人会に入会した。『経営者の自己変革によって企業の健全な繁栄と地域社会振興の発展を目指す』などの目標を掲げる経営者の研さん団体である。
早朝セミナーに出席してさまざまな分野の講師の話に耳を傾ける活動も熱心に続け、入会からわずか半年後に会長に任じられた。
「倫理法人会では多くの人たちにリーダーとしての豊かな人間性を感じ、地域社会の発展への貢献、地球人としての自覚と環境保全への貢献といった理念の大切さを実感できる」いう言葉に力をこめる。
■メーカーへ脱皮
91年には自社の独自性を強調した商品開発に力を傾注することを柱にした方針を決め、翌92年には自社製品第1号として英語字幕表示器を発売。市場に受け入れられて15年間製造販売を続けた。03年には自社製品が日本ビクタービデオ事業部から6000台の受注に成功するヒットもあった。
05年に自社製品をアメリカ、韓国でも販売し、海外進出の宿願を果たしたのは大きな成果だった。
だが、バブルの波に乗り、時代の要求にも応える事業展開で順風満帆だった社業はバブル崩壊のあおりを受けて次第に不振に陥り、自分を始め管理職の給与をカットするなどの経営努力を重ねたが、従業員の離職が相次ぎ、年商は1億2千万円にまで落ち込んだ時期もある。
07年には会社の存続すら危ぶまれる大ピンチに見舞われた。2億円の資金繰りのめどがたたなくなったのである。「取引先の30社に誠心誠意、1カ月待ってくれと頼み込んで何とか難局を乗り切った」という。
この年、敬愛する先輩から出資を受けて関連会社ショウエネを設立し翌年省エネ効果の高い蛍光灯を開発・発売した。
■業績回復
板橋さんは持ち前のリーダーシップを買われ、周囲の人たちに推されて一時期、政党活動に関わったこともある。だが、数年できっぱり縁を切り、事業にまい進するとともに再び倫理法人会の会長に就いた。
これ以後、大手電機部品メーカーや国の省エネ事業助成金による自動車部品メーカーからの大量注文、照明器具メーカーからのLED用インバータの大量受注などが相次いで、社業の柱にしてきた省エネ事業で実績を積み重ねた。新規社員の採用も行い、人材の増強にも取り組んだ。
近年は制御盤ボックスや表示器の設計製造、超精密精度を要する検査機器装置の設計製造、公共施設や大学などの入退館管理システムの設計製造と据付工事なども手掛けている。
14年には相模原市高齢者住宅の省エネ化事業を受注した。こうした事例が示す通り、業績は急速に回復の道を歩んでおり、15年10月には月次売上と収益のレコードを記録するまでに上昇している。
山あり谷ありの経営を重ねている板橋さんは「技術とサービスで社会に貢献したい、そして人のためになることをしたいという思いを持ち続けて来た。ほかの人の喜びを自分の喜びにしたい。これからも諦めることなく、自分の信じる道を歩んでいきたい」と、経営の根底にある思いを語る。