橋本生まれで橋本駅北口のB‘sモールで歯科医院を経営する佐藤文彦さん(48)は、今年で開院64周年になる3代続く歯科医師。幼い頃から父の診療室と隣合わせの部屋で育ち、「歯医者の匂いは父の匂い」と回想するほど、歯科診療になじんでいた。大学卒業後、友達に誘われて2年ほど沖縄の診療所に勤めた後、橋本に里帰り。父といっしょに診療に携わり、その後独立して歯科クリニックを開業した。患者本位の診療と新しい歯科医療の普及に努める一方、地元橋本商店街協同組合の理事としても活躍している。(編集委員・戸塚忠良/2016年3月1日号掲載)
■橋本生まれ
今でこそ橋本駅周辺の歯科医は数多いが、佐藤さんが少年時代を過ごした昭和50年前後はまだ数が少なく、父の診療所には順番待ちの患者の列ができるのが日常の風景だった。それでも治療を終えた人たちが「先生ありがとう」と父に礼を言って帰るのを目にして、「人に感謝される職業なんだ」という思いを胸に刻んだ。
母親に連れられて商店街へ買い物に行き、店の人と母親が親しげに言葉を交わしている情景も思い出に残っている。お使いを頼まれ一人で買い物に行くと、「一人で来たの。ごくろうさま」と声をかけてくれた店の人たちの顔も脳裏に残っている。商店街は地域のこの上ないコミュニケーションの場だった。
だが、小学校から地元の外の私立校に通ったため、ふるさととのつながりが希薄になるのは仕方ないことだった。
■開業まで
大学で歯学を学び、幼い頃から知っている沖縄の歯科医師に、「卒業したら沖縄の診療所に勤めてみないか」と誘われ、南の島で歯科医療に従事した。「沖縄の歯科は外国人の患者が多く、治療の前に医師が内容をきちんと説明していた。医師と患者の相互信頼の大切さを学ぶ貴重な体験になった」と回想する。
沖縄の風土を大好きになったが、2年ほどして父親の診療所を手伝うことに決め、橋本に帰った。「しばらくして父が、もう一人でやったらどうだと、独立を後押ししてくれた」という。橋本駅とつながる商業ビルの一角に、さとう歯科クリニックを開業したときはまだ20代後半だった。
■治療から予防へ
開業以来、「治療にあたって、患者さんの生活環境にも配慮して一人ひとりに合った最善の治療法を提案している。それをていねいに説明し、どんなに些細なことでも患者さんの声に耳を傾ける」というのが基本方針。その根底には「治療から予防へ」という基本理念がある。
「医師の最も大事な役割は、患者さんの意識と行動を変えること。患者さんが治療を受けるだけではなく、正しい口内状態を保つために自分でできることを覚えて帰ってほしい。私がいちばん伝えたいのは、そのことです」と力をこめる。
今、普及に努めているのはTCH(歯列接触癖)の是正。口を閉じ上下の歯をくっつけて過ごす時間が長いと歯がしみたり、顎が痛くなったりする恐れが生じるだけでなく、頭痛、肩こり、さらには不定愁訴に悩む可能性があるという。
この癖を改善して正しい口内状態を保つにはどうすればいいかを患者にアドバイスしているだけでなく、橋本駅周辺商店街連合会主催のミニ講座「まちゼミ」でTCHをテーマに講演するなど啓発に努めている。また、市と歯科の連携による、お口の健康診査事業の啓発にも熱意を注ぐ。
「患者様の悩みを解決するに止まらず、患者様自身が“どうなったら良いと思っているか”をお聴きして、望みをかなえるお手伝いをしていきたい」と意欲溢れる。
■商協組でも活躍
地域活動にも熱心だ。橋本商店街協同組合の理事を務めて4年になる。「仲のいい人から組合の若返りのためにもと勧められ、商店街の振興に役立てばと考えて引き受けた。地元再デビューの気分だった」と笑う。
組合は昨年、設立50周年の記念事業を行い、佐藤さんはその実行委員長を務めた。事業の一環として発刊した記念誌に寄せた挨拶の中で、顔と顔の見える付き合いとコミュニケーションの良さと大切さを強調。そして、「街のかたちが変わっても時代が変わっても、やはり街の中心であり、私達を繋げているのは商店街協同組合です」と、組合員一人ひとりの気持ちを言い表した。
橋本駅周辺は様変わりを重ねており、「今は商業ではない新しい業種の組合員が多くなっている」と説明する。
そして、「橋本で自分の店や事業を始めたいという意欲を持つ若い人が増えている。こういう人たちが入って来やすい街にしたい。橋本に根を下ろした人に組合に参加して活躍してもらえば、組合だけでなく、街全体の振興にもつながると思う」と展望する。
その一方、地域の歴史資源にも目を向け、「個人的な夢だが、大鷲神社や橋本神明大神宮をより多くの人に知ってもらうため、参道の整備ができればと思う」と明かす。
歯科医師と商店街活動という地域住民と密接につながる役割を果たしている佐藤さん。忙しい日々を支えているのは、人と人との顔の見える関係を何より大切にする気持ちだ。