上條陽子さん、パレスチナ難民を支援/世界駆け巡る女流画家


相芸協会長の上條さん

相芸協会長の上條さん

 相模原芸術家協会(相芸協)会長の上條陽子さんは世界を駆け巡る画家だ。中東レバノンにあるパレスチナ難民キャンプへ足を運んで、子供たちに絵画を指導し、その作品を日本に紹介して平和と自由の大切さを訴える活動を10年あまりにわたって続け、中断した現在も難民、特に子供たちへの深い関心を持ち続けている。市美術界のリーダーとして相模原の友好都市との交流事業に携わることも多く、国内外を舞台に精力的に活動している。行動し、発言する女性芸術家の足跡をたどり、近況をレポートする。
(編集委員・戸塚忠良/2016年6月10日号掲載)

■安井賞受賞

 1937年横浜に生まれた上條さんは17歳の時、画家を志して高校を中退。独学で美術の道を歩んだ。若い日々には、人間の不安と孤独、苦悩と向き合いつつ独自の世界を築き78年、『玄黄・兆(きざし)』で画家の登竜門とされる安井賞を獲得。同賞21回目で初めての女性受賞者として一躍脚光を浴びた。

 だがその後、聴神経鞘腫という病を発症し、2度にわたり開頭手術を受けて生死の淵をさまよった。「聴く力は失っても視る力と腕の機能だけは残して、と願った」。

 願いが通じ、再びカンバスに向き合うまでに回復したあとは、暗さを基調にした作風から生の歓びをうたいあげる画風に一変。原色を駆使した躍動感あふれる作品を相次ぎ発表。複数の素材や技法を使ったミクストメディア作品にも制作の幅を広げた。

 それらの作品は、「玄黄」の作品群とともに高く評価され、80年代から数えきれないほど多くの美術展に出品。84年の玄黄連作展(東京)、92年の池田20世紀美術館(静岡県)、96年の町田市国際版画美術館など数々の個展にも多くの鑑賞者が訪れ、評価と人気の高さを証明した。

■パレスチナ

 99年、上條さんが新たな地平へ目を向け、やがてそこへのめり込むことになる出来事が起こる。イスラエルのエルサレムと、パレスチナ自治区のガザ、ラマラの3カ所で開催された巡回展「東京の七天使」に参加したのである。「紛争の絶えないパレスチナという土地を自分の眼で見て、いろいろ知りたいと思った」のが動機だ。

 終わりのない戦火の下で生きる難民たちの悲惨な生活に触れ、激しく心をゆすぶられた上條さんは2001年、日本で集めた絵の具や画用紙などの画材を携え、初めてレバノンのパレスチナ人難民キャンプに足を運び、子供たちに絵画を指導した。

 「パレスチナ人は故郷を追われて60年以上の悲惨な難民生活を強いられ、子供たちの未来は閉ざされている。絵画指導を通して自由な発想と自己表現の楽しさを伝え、日本国内での作品展示によって平和と自由の大切さを伝えたい」という思いを形にした行動だった。

 「初めて満足な画材を使って自由に描く喜びを知った子供たちの目の輝きは、今でも脳裏に焼き付いている」という。

 このとき、『絵は世界共通語』を標語にして立ち上げたボランティアグループ「パレスチナのハートプロジェクト」(PHAP)は、仲間の輪を広げながら活動を継続しており、11年を最後に難民キャンプでの絵画指導は中断しているが、パレスチナの子供たちや絵画教師の作品を紹介する展示会は続けている。今年も7月に金沢市の「創作の森」で開催する予定だ。

 難民支援の活動は社会的に高く評価されており、かながわボランタリー活動奨励賞、横浜弁護士会人権賞を贈られている。

 13年にはガザを再訪。ろうあ学校の児童に絵画を指導し、20人ほどの若いアーティストたちと交流した。前回知り合った画家と再会したのも楽しい思い出になったが、一見平和に見えた街の印象をそのまま口にしたとき、その画家から帰って来た「自由のない平和は真の平和とは言えません」という言葉は胸に突き刺さった。

 「教育もままならない環境に住むガザの子供たちに一日も早く自由と平和の日々が来ることを願わずにはいられません。表現者として力強く生きているガザの画家たちの声を世界の人たちに聞いてほしいとも思います」と熱く語る。

■生きる情熱

 相芸協会長としても大きな役割を果たしている。昨年、相模原市との友好都市交流30周年を祝って中国・無錫市を訪問したおり、同地の蘇茄美術館で絵画指導のワークショップを行い、参加者の多くが初めての体験に大喜びしたという。「今度は子ども向けのワークショップをしてほしい」との要望に応えて8月に再び同美術館を訪れる。

 今は相芸協創立25周年記念展の準備にも忙しい。9月2日から13日まで市民ギャラリー(JR相模原駅ビル内)で開催する展覧会で、会員による多彩な大作を展示する予定だ。

10年に市民文化彰を受賞して市内での声望が極まった後も八面六臂の活躍を続ける上條さん。「これからも前だけを見て、自分の道を進んでいきたい」と語る表情には、喜寿を超えても少しも衰えない、生きることへの無垢な情熱があふれ、「生きている間に市立美術館ができるのを見たい」と近未来の夢を語る。

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