相模原市南区在住の涌田佑さん(94)が、江戸時代後期の画家・学者である渡辺崋山について集めた資料や、研究成果を手書きでまとめたパネル約100枚を展示した「渡辺崋山展~游相日記より~」(市立相武台公民館主催)が10日まで、相模原市南区新磯野の同公民館で開催。入場無料。紀行文「游相日記」に記された崋山と県央地域の関わりを中心に、江戸で生まれ渥美半島の田原(現・愛知県田原市)で生涯を終えるまでを説明している。【2023年9月1日号】
渡辺崋山は、三河国田原藩の武士で江戸詰家老だった。幼少期は俸禄が少なく、父定道が病気がちで医薬に多額の金銭が必要だったため、極端な貧窮の中で育った。家計を助けるために得意であった絵を売るようになり、後に谷文晁に入門したことで才能が大きく開花することになる。「絹本淡彩鷹見泉石像」は国宝。蘭学研究や蘭学者との交流もあり、蛮社の獄で捕らえられ蟄居中の田原で自害した。
相模への旅の主な目的の一つは、崋山が仕えていた藩主・三宅康友の側室として友信を生んだ、早川村(現・綾瀬市)出身のお銀を訪ねること。鶴間村(現・大和市)の「まんちう屋」に宿泊し、翌日に小園(現・綾瀬市)のお銀を訪問してから、厚木の「万年屋」に2泊3日滞在。付近の名所を巡り、厚木やその周辺の名士や文化人らを宿に招いては酒宴を催した。
「游相日記」は横浜市緑区、相模原市南部、大和市、綾瀬市、海老名市、厚木市一帯の地誌、文化、産業、政治、経済など当時の姿を知る得難い資料となっている。涌田さんは著書の中で「反省担当者としての崋山の、各地の政情視察、産業形態の調査旅行といった面もあろう」と記している。
目玉は、2001年9月に山梨県甲府市内の旧家の蔵から見つかったという「相模川砂灘漁之図(さがみがわさだんすなどりのず)」。「相模川の風景を遠景・中景・近景が見事に描き分けられている」とする。中景に描かれた鵜飼いの様子も描かれ、涌田さんは「竹竿の先に付けた短い縄に鵜を縛っている。相模川でも鵜縄漁が行われており、厚木から田名上流までしばしば見られた」と説明する。
「蛮社の獄に至るまでの日記や書簡などにこの絵に関する記述はない」とする。最晩年の天保11、12年は大作が続いた上、これらと構図が似ていることもあり、涌田さんは「描いたのは旅のずっと後。蟄居中に描いたのではないか」と分析する。
2002年に『渡辺崋山事典』、04年に『平成校注「游相日記」―渡辺崋山、天保2年、大山の旅―』を相模経済新聞社から発行するなど、数多くの著書を書いている。
開催期間は、各分野の専門家が解説するギャラリートーク(各日午後1時半から3時まで)を行う。8月27日に「游相日記について」(郷土史家・涌田さん)と、同31日「画家 崋山とその時代の人たち」(日本画家・戸田みどりさん)が開かれたほか、9月3日「崋山の一生と毛武日記」(涌田さん)、10日「厚木六勝について」(あつぎ郷土博物館学芸員・山岡裕子さん)が予定されている。申し込みは不要。