【関東大震災から100年①】現相模原市内でも大規模な土砂災害/地震峠や麻溝の記録を辿る


大震災タグ 1923(大正12)年の関東大震災から、きょう(9月1日)で100年になる。同震災で甚大な被害を受けた旧津久井郡では50人の死傷者を数えた。近代の関東地方を襲った最悪の自然災害はどのような影響を相模原に及ぼし、どのように復興したかを辿った。【2023年9月1日号掲載】

□神奈川で最大の被害

午前11時58分、相模湾を震源として発生したマグニチュード7・9の地震は、主に関東地方南部で建物倒壊、津波、崖崩れなどを引き起こした。「関東大震災」である。発生が昼食の時間と重なったことから、多くの火災が発生し、大規模な延焼火災に拡大した。「南西の風が強く、雨は昼前ごろにあがり、気温30度前後と、かなり蒸し暑い日であった」との記録が残っている。

神奈川県、東京都、千葉県、埼玉県、山梨県、静岡県、茨城県、長野県、栃木県、群馬県と広域に及ぶが、特に全壊・半壊・焼失などが多かったのが東京、神奈川、千葉の1都2県だ。相模湾沿岸部では高さ10㍍以上の津波が記録され、内陸部でも山崩れや崖崩れ、それらに伴う土石流によって家屋の流失・埋没の被害が発生した。

全体の被害は、死者・行方不明者は10万5千人、全壊・焼失・流出などの被害家屋は37万件に上った。神奈川県内では大部分を占める約3万3千人の死者・行方不明者、6万6千人の負傷者と12万棟を超す全壊・焼失家屋と記録されている。

□鳥屋で16人犠牲に

相模原市緑区鳥屋地区(現在)にある「地震峠」の案内板(1986年3月、津久井町教育委員会設置)には、津久井郡で死者33人、負傷者16人、全壊棟数120戸、半壊402戸と記されている。このうち、馬石地区では9戸が土砂に埋没し、死者16人、遺体が確認されたのは半数の8人のみで、一家6人全員が埋没死する凄惨な状況だった。

住民有志によって慰霊碑が建立されている「地震峠」

住民有志によって慰霊碑が建立されている「地震峠」



現在、地震峠付近では県道鳥屋川尻線の北側を流れる串川だが、当時は「現在の県道よりずっと南側を流れていた」(案内板文)。崩壊した土砂が串川を埋めて谷を閉塞したため、上流側500㍍に至る湖が出現。その後の降雨や余震などで堰き止められた水と土砂が一気に流れる土石流、いわゆる「山津波」の発生が懸念された。

津久井町郷土史にも「余震のまだ続く中を、隣村の消防団員が、道具・弁当持参で土砂の取り除き作業の救援に参加をした」とあり、串川から延べ700人、青野原から同225人、宮ケ瀬から同70人との記録があるとしている。付近では2019年10月の東日本台風でも土砂災害が発生するなど、現在に至るまでに斜面崩壊や土砂による河川の閉塞などがたびたび発生している。

馬石自治会館から西に50㍍ほどには、6人が被災した家の跡地に慰霊碑が建立されている。碑の周辺や山側の斜面一帯は礫の混じった崩積土で覆われており、100年経った今でも甚大な災害の痕跡を見ることができる。

□10日で復旧工事完了

相模原地域も例外ではなかった。宮坂沿いの十二天神社(南区下溝)近くくにある関東大震災崖崩復興記念碑には、死傷者が出なかった麻溝村(当時)でも、家屋の損壊や斜面の崩壊が発生した旨が記されている。旧横山坂の崖が崩れて土砂や倒木で一部が埋まり通行ができなくなったため、村人は急ぎで新たに坂道を開削することを決めた。

坂道復旧までの経緯が刻まれた記念碑

坂道復旧までの経緯が刻まれた記念碑



工事は9月9日に測量が始まり、28日までの19日間で第1期工事を完了。翌24年の農閑期を利用して2月には坂下の道保川に架かる地蔵橋(現・一関橋)の修繕を行った後、3月16日から26日までの10日間で第2期を完成させた。

難工事ではあったが、翌麻溝の村民88人のほか、近隣の番田、当麻、下原からの助力もあって、物資を運べる緩やかな2本の坂道(宮坂、大坂=古山坂?)を開通した。

□市内で予測する地震

相模原市を中心とする関東地方の地質構造、活断層の分布、地震の発生状況等の調査結果から、被害を及ぼすおそれのある地震は「国府津―松田断層帯」「相模トラフ」などだが、相模トラフは100年以上後に震度6強程度の影響があるとして中長期的な対策の対象とした。切迫性があるものとして国などが観測を強化している「南海トラフ」は、市域の震度が6弱に達しないと予測する。

相模原(県央地域)周辺には14の活断層が分布するとされ、地震の発生が懸念されるのは「立川断層帯」「伊勢原断層」「渋沢断層・秦野断層」「三浦半島断層群」など。三浦半島断層群は今後30年間に地震が発生する可能性が高いとされる。もっとも近い断層は伊勢原断層だが、平均活動間隔は4千年~6千年程度で「地震発生の可能性は低い」とみられる。

相模原市では3つの地震を想定し、2014年5月に「市防災アセスメント調査」を実施。マグニチュード7・1では、市内震度5強~6強の「市東部(南区、中央区、同区寄りの緑区)直下地震」、同6弱~6強の「市西部(中央区寄りの緑区)直下地震」が30年以内に7割程度の確率で発生すると想定。全壊建物は東部直下が約3600棟、西部直下が8千棟で、避難者はそれぞれ約3万9千、6万1千人と予測している。

また、200~400年周期で発生している関東大震災規模(マグニチュード8クラス)の「大正関東タイプ地震(南区の一部)」については、30年以内の発生率を0~5%とみている。全壊約1300棟で、避難者は約2万8400人に上ると試算する。

□県内で関連行事も

「積み上げた100年をムダにしない」。九都県市(東京都、神奈川・千葉・埼玉の3県および5政令指定都市)の合同防災訓練がきょう(1日)午前10時から、相模原市中央区内の相模総合補給廠一部返還地を中央会場として行われる。都市部と中山間地域ではそれぞれの地域特性に合わせて、起こり得る災害を想定した訓練を実施する。

同市内では、市橋本図書館(13日まで)、市博物館(16日~11月30日)市役所や公文書館など(12月22日まで)で関東大震災や防災に関する展示を行う。このほか、県内各地で自治体独自の防災訓練や講演会、式典などが開かれる予定。

相模原台地は地震被害・液状化の危険性が低く、地盤が比較的強固とされる相模原市だが、台地と低地の間には、かつての川岸だった「段丘崖」があり麻溝の事例のように土砂災害のリスクが潜んでいる。

2011年の東日本大震災では市内で最大震度5弱の揺れを記録し、負傷者5人、住宅等被害30棟、停電約13万2800世帯、帰宅困難者2536人が発生。09年8月、21年2月、22年3月にそれぞれ震度4の地震があり、負傷者や家屋損壊、停電などの被害があった。

市は「1人ひとりがあらためて防災について考える機会として、参加してほしい」としている。

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