サラリーマンの終身雇用、年功序列が崩壊していった時代に、企業だけが以前と変わらぬ顧客、事業で右肩上がりに成長することなどあり得ない。30年以上の歴史を持つ企業なら、ここ四半世紀の間に事業や組織の再編、転換など、何かしらの変身を遂げたはずである。
創業35年の歴史を持つアイワ(相模原市南区上鶴間本町9-8-37、森岡功樹社長)は一貫して電気通信工事を基幹事業としてきたが、その内容は1990年代半ばを境に大きく様変わりしている。
同社は1978年、森岡社長の父・透氏が創業。かつて自衛隊の通信隊員であった同氏は、除隊後、その経験を生かして電話回線工事の技術者に転身し起業に漕ぎ着けた。日本電信電話公社(現NTT)からの請負仕事は急成長こそ望めないものの、当時安定度は抜群だった。
ところが90年代に入り、携帯電話などの移動体通信が普及し始めると、有線通信事業の先行きに暗雲が立ち込める。二代目が民間企業を辞して家業に入ったのは、そんな最中の93年。しばらくは新天地で地道に経験を重ねていたが、やがて先細りが見える状況に耐えかね、父と衝突してしまう。
「新事業にトライするなど改革を促すつもりで、こんな仕事に明日はないと直言したが、それなら一人でやってみろと突き返された」
売り言葉には買い言葉ではないが、95年、二代目は父の承認を得ずに単独で新事業を開始。手掛けたのは、当時隆盛の途にあったケーブルテレビの回線工事である。
「将来性があり、営業、技術両面で後発でもハンデなく取り組めた」と森岡社長は振り返る。
実際、仕事はいくらでもあった。実績を積み重ねながらスタッフ、受注量を徐々に増やし、5年で新事業の売り上げを1億の大台にのせた。
2000年、それまで他人事のように黙認していた父が唐突に株式会社への組織変更と社長交代を告げた。それは、同社の基幹事業が、正式に電話回線からケーブルテレビ回線工事へと転換したことを内外に示すセレモニーでもあった。
とはいえ、時の流れは速い。ケーブルテレビ回線工事事業のピークもはや過ぎつつある。
「工事単価が毎年引き下げられ、業者が淘汰される時代。生き残る自信はあるが、中・長期的には安泰とは言えない」
こう話す森岡社長が、もう一つの基幹に育てるべく10年ほど前から手掛けているのが防犯事業である。電気通信とは一線を画す事業として防犯フィルムの施工からスタートしたが、現在のメインが防犯カメラの施工なのは“餅は餅屋”の評判によるものなのだろう。
「検討している新事業は他にもあるが、基本的に会社経営は勝つことより、負けないことが大切。真冬と思える現況では、無理に仕掛けるより社内体制強化など、すべきことがある」
森岡社長は今、既存事業を堅守しつつ、次の時代に向けた勝負所を探っている。(矢吹 彰/2014年1月1日号掲載)