三和紙業、創業者の急逝を乗り越え業歴62年 今まさに改革の時/包装用紙工品・用品などの販売


次代に対応し次々と改革を進める藤本社長

次代に対応し次々と改革を進める藤本社長


 長い業歴は、年数自体が企業を誇らしく見せるが、経営者にとって真に誇らしいのは、その間に何をしてきたのかということだ。

 成長の足跡だけが誇りとなるのではない。挫折、紆余曲折を経ながらの険しい道のりも、将来につながる大きな矜持となり得るのである。

 包装紙や紙袋、紙箱等を販売する三和紙業(相模原市中央区上溝3958の12、藤本都子社長)の業歴は62年を数えるが、振り返れば、個人事業のまま、わずか15年で幕を閉じても不思議ではなかった。

 同社を創業したのは藤本社長の父・武夫氏。1953年、東京・大田区の自宅で包装用人造竹皮の製造を始めたのがきっかけだ。裁断、名入れ、ろう引き加工を1枚1枚手作業で行う手間のかかる仕事だが、世の経済成長とともに引き合いは着実に増えた。

 東京オリンピック開催を控えた64年初頭には、「第2の東京になる」と見越し土地を買い求めた相模原(南橋本2丁目)に、待望の工場を新設。数段階の手作業を自動化する機械を導入し、製造効率は格段に向上した。

 4年後、従業員も20人ほどに増え、まさにこれからという時に災難が襲った。

 納品のため東京と相模原を社用車で往復していた武夫氏が交通事故で他界。一家の柱、会社の柱を同時に失った。

 「会社の存続も危ぶまれたが、夫の遺志を継ぐという使命感、従業員への責任感から、自らが引き継ぐ決心をした」と、藤本社長は前社長である母・豊子氏の当時の思いを代弁する。

 ただ、いくら周囲からのサポートがあっても、経営経験のない女性が事業主として製造から販売まで仕切るのは至難の業。そこで70年、製造部門には見切りをつけ、紙工品など包装用品の販売のみに事業を絞って法人化し、南橋本を拠点に再スタートを切った。

 以後37年にわたり、組織の結束を固め、事業の安定を図ることで、豊子氏は2代目としての役割を全う。2007年、娘の藤本社長に次代を託し退任した。

 とはいえ、先代によって築かれた組織、事業のスキームに安住してもいられない。あまりにも激しい時代の変化が、さらなる試練を課してくる。

 「決して平坦ではないが、母はいい時期に会社を率いた。ここ数年は、大きな転換期にある」

 藤本社長がこう話すように、宅地化した南橋本から上溝への事業拠点の移転、事業効率面からの取引先の選別等、短期間に次々と改革を実行。一方で、11年に津久井せんべい本舗(緑区太井)を買収し、今年フランチャイズ契約による高齢者向けデイサービス店舗を南橋本に開設するなど、事業の多角化も進めている。

 そして近々予定されている大仕事が、長男・宗一郎氏への承継。

 「家族というだけで資質のない者が社長になるのは社員、取引先にとって不幸」と強調する藤本社長が見込んだ4代目だけに期待がかかる。(矢吹 彰/2014年8月20日号掲載)

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